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Googleマップには参道入口までの道が書かれていないので多少分かりづらいですが、この参道入口から階段を5分ほど登ると鳥居の前に出ます。
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こちらは拝殿に向かって左側の像。台座には奉献の「献」と彫られています。
この御嶽神社の狼像は、口元の造形的に阿吽の区別が無さそうで、全体的に見ても2体の造形について形状の差異は特に見られなかったので、ここでは暫定的にこちらの左側の像を「献の像」と呼称します。
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献の像を右側面から。とても写実的で生物感のある造形で、全体的にどっしりとしたシルエットとなっています。古いオイヌサマで見られるような、痩身のニホンオオカミを思わせるものとは異なり、洋犬のような印象を受けます。
尾は、拝殿に向き合ったときにこちら側に見えるように右側面に造形されています。
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頭部に関しては、幅広い口吻の造形もあって、テリア系の犬種のように見えます。また、瞳や口元に、擦れてしまってはいますが、塗装されていた痕跡もあります。
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献の像をやや斜め後ろのアングルから。元々の造形コンセプトのせいか、狼像によく見られるあばらの筋の造形もこちらの像には見られませんが、この像の特徴として、全身に毛並みを表す筋が彫られています。。
尾は後肢を巻き込むように前方に伸びています。これは逆に狼像としてスタンダードな表現になっていると思います。
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献の像を正面から。神獣的なデフォルメは見られず、現実の生物としての写実的な表現になっています。
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足元は指の形状もしっかり形作られていますが、狼像によく見られる爪の造形はなされていないようです。
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そしてこちらは拝殿向かって右側の像。台座には奉献の「奉」の字があるので、こちらを「奉の像」と呼称します。造形的には献の像との差異は特に見られません。
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奉の像を左側面から。尾は、やはり拝殿に向き合ったときにこちら側に見えるように、献の像とは逆に左側面に造形されています。
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奉の像の頭部のアップ。献の像と共に、かつては瞳が黒く塗られていたようですが、経年により塗料が剥がれてきているようで、そのせいか献の像よりもやや穏やかな表情をしているような印象を受けます。口元にも紅い塗料が残っています。
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奉の像を斜め後ろから。日差しの向きで、こちらの方が全身を覆う毛並みの表現が分かり易いかと思います。
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正面から。ぱっと見の印象は献の像と違いはありませんが、こちらの奉の像のほうがややなで肩のようにも見えます。
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台座には、「昭和四十九年」の日付が記されていました。他の狼像と比較して、だいぶ新しいものになるのではないかと思います。
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そして、この小和田 御嶽神社には、上記の狼像の他に、もう1対の狼像があります。拝殿の向かって右側に小さな祠が置かれているのですが、その両脇に小振りな狼像が置かれています。
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こちらが祠に向かって左側の阿形。大きさ的には小振りなもので、足元から頭頂部まで目測でおよそ40cmほどです。
台座などに奉納年などの文字情報がなく、いつ頃奉納されたものなのか不明ですが、この御嶽神社が、大正8年に、柏原の五霊神社と石神の石神神社を合祀し、小和田地区全体の産土神としたそうなので、その当時のものとすれば大正期に奉納されたものと思われます。
造形の素朴さという点においては、檜原村の大嶽神社のオイヌサマにも通じるものがあるようにも感じますが、何かつながりのようなものはあったのでしょうか。
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阿形を右側面から。全体的な印象は、最低限のディテールで造形された、とてもシンプルで素朴な姿となっています。前脚の指先もデフォルメされた筋で表現されています。
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中でも最も特徴的だと思われるのがこの頭部、特に口吻の造形です。顔の前方に、全体のバランスから見てもかなり眺めに突き出た形状は、まるで切り込みを入れたコッペパンのようにも見えます。口の中には特に歯のような造形も見られず、実にシンプルな表現となっています。
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阿形を左斜め前から。頭部に欠けたと思われる痕や、首周りにはセメントで補修したような痕も見られます。
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首まわりのアップ。ここに見られるようなセメントを塗ったような痕は、地震などで倒壊した際の補修の痕なのではないかと思います。
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阿形を斜め後ろから。胴体も床面に向かってストンと落ちるようなシンプルでなだらかなシルエットです。こちらもあばらなどの表現は見られません。尾は身体からやや離れた位置に、前方に向かってやや長めに造られています。
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前脚は緩やかなカーブを描いた筒状のシンプルな造形ですが、これはもしかしたら後年に作り替えられたものかもしれないという気がします(吽形で後述します)。
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後脚には指と分かる造形は見られませんでした。これは阿形のものですが、その点はどちらの像も共通しています。
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こちらは祠向かって右手の吽形。阿形同様、全体的なシルエットはとてもシンプルなものとなっています。また、こちらの台座にも文字情報はありません。
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吽形を左側面から。全体的に阿形よりも補修痕が目立ちます。
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吽形の頭部アップ。吊り上がった目尻の形状ゆえか、阿形よりもやや凛々しい印象を受けます。
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上部から見ると、首の後ろや背中にセメントを盛ったような痕がよく分かります。
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吽形を背面から。腰の部分を回り込むように大きく割れてしまっているのが分かります。
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阿吽共に言えることですが、特に吽形の脚の付け根(↑)を見ると、今付いている脚が、いちどまるごと置き換えられたように見えます。胴体から本来の脚に続くラインを見ると、オリジナルの脚は現在のものよりももっと細く華奢に作られていて、そのせいで地震などの衝撃に耐えられずに倒壊し、阿吽ともに現在のものに作り替えられたのではないか、そんな印象を受けました(もちろんこれは勝手な推測ですが・・・)。
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吽形の前脚には針金が緩く巻き付けられていました。補修の際の名残か何かでしょうか。
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こちらの古い狼像は、かつては拝殿前に置かれていたものの、度重なる倒壊などによって補修を繰り返され、やがて「見栄えの良い」現在の新しい像と置き換えられてここに置かれるようになったのではないかと想像します。この先もここで保存されることを願います。
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拝殿の変額にも狼の姿が彫られています。こちらは狼信仰の神社のお札などでよく見られる、細身な姿に描かれています。
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