貴布禰神社(東京都檜原村)
 
 都道205号水根本宿線ギリギリに造られた擁壁から、急峻な階段の参道が伸びています。
 
 階段を登りきると、正面に社殿があります。
 
 そして、階段を登り切った右手に、小さな祠が並んでいますが、ここにオイヌサマの像が置かれています。
 
 こちらは祠に向かって左手に置かれたオイヌサマ。各部のディテールをシンプルにデフォルメした姿に形づくられています(以下、こちらを「左の像」と称します)。
 
 ちなみにこの貴布禰神社のオイヌサマですが、ここから直線距離で北東4kmほどの地点にある、大岳山山頂の大嶽神社のオイヌサマの姿に酷似しています。後述しますが、この像は恐らくその大嶽神社の像を参考に作られたのではないかと思います。
 (大嶽神社のお犬さまのページはこちら。)
 
  左の像を正面から。前脚は大嶽神社のオイヌサマよりも短めになっていますが、指の造形は大嶽神社のものとほぼ同じ造形となっています。
 ちなみに、大嶽神社のオイヌサマに見られた性差の表現は、こちらのオイヌサマには見られませんでした。
 
 左側面から。大嶽神社のものと比較して、だいぶ前傾姿勢に造形されているために、前脚の長さに差異が出たのだと思われます。
 
 お顔の造形も大嶽神社のオイヌサマに酷似していますが、耳については、こちらのオイヌサマは耳道が正面を向いているのに対し、大嶽神社のものは耳道が外側を向いてるという差異があります。耳たぶのエッジも大嶽神社のものと比較して丸みを帯びています。
 
 よく見ると、口先が欠損しているようです。本来は大嶽神社のもののように、もう少し先まで円錐状に伸びていたのだと思います。
 
 目の表現は、大嶽神社のものと同様、筋彫りでアウトラインを表したものとなっていますが、大嶽神社の像に見られた、眉弓にあたるアーチ状の造形は確認できませんでした。
 
 尾は、身体の左側面に沿うように造形されているのが分かります。
 
 続いてこちらが、祠に向かって右手に置かれたオイヌサマ(以下、こちらを「右の像」と称します)。
残念ながら胴体の途中で割れてしまっていて、上半身がまるごと無くなってしまっています。そのため、頭部がどのような造形になっていたのかは分かりませんが、恐らく大嶽神社のオイヌサマ同様、阿吽の違いは無かったのではないかと思います。
 
 右の像を斜め後方から。尾は、左の像と対象になるように身体の右側面に沿って造形されていますが、上半身とともに台座も前方が欠損し、尾も途中から無くなっています。
 
 右の像の前には破片が置かれていましたが、形状と材質から見て、このオイヌサマのものではなさそうです。
 
 台座には「宝暦十年(?)」と読める文字が記されていました。冒頭で、この貴布禰神社のオイヌサマに酷似していると書いた大嶽神社のオイヌサマは、台座に宝暦九年、この貴布禰神社のオイヌサマの奉納の前年の日付が記されていました。大嶽神社との関連などについての詳細は不明ですが、この貴布禰神社のオイヌサマは、大嶽神社のものに倣って作られたのは間違いないと思います。