埼玉県小鹿野町の旧両神村地区に、主要地方道37号皆野両神荒川線から分岐する県道367号薄小森線という路線がある。この県道、小森川に沿いながら両神山へと向かって延びているのだが、元々この線形は、かつてこの小森川沿いに敷設された林用軌道を転用したものなのだそうだ。その軌道を小森軌道という。
大正10年に敷設されたというこの小森軌道、人力のトロッコで運用されていたようで、小森川沿いの下原(現在の県道37号線との分岐点付近)から広河原にかけて、その延長は大正11年の時点で約12km、その後の延長を経て最大でおよそ14km程にまで及んでいたこともあるというが、昭和13年に鉄材の国策による軌条の献納によって、小森軌道はその歴史に幕を下ろしたという。(参考サイト:埼玉鉄道資料館)
(※2012/05/01追記:リンク先のサイトが閉鎖されていました。)
この小森軌道、ネット上にも当時の様子を伝える情報は上記サイト以外にはほぼ皆無に等しく、そんなこともあって少し前に地元の図書館で両神村誌などの資料も調べてみたのだが、残念ながらそれらしい情報を得ることは出来なかった。また、現地を探索したり、この県道上で当時の遺構等を見つけたという記録もない。それもそのはず、上にも書いたが、この軌道跡はそっくりそのまま現在の県道へと転用されてしまい、現在では当時の痕跡などは残っていないようなのだ。
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しかし、国土地理院の地形図を見ると、県道から分岐する林道譲沢線から、その1km程北西に位置する林道中尾線・中尾支線を経由して、小森軌道の終点があったとされる広河原にかけてアヤシイ点線区間が記されている。上記のとおり、軌道跡は県道に転用されてしまったとのことだが、もしかして一部の区間は、県道から外れて徒歩道としてその痕跡を残していたりしないだろうかとの妄想を抱き、今回徒歩でこの点線区間を探索してみることにした。
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※ただし、先に言っておきますが、はっきり言って今回目ぼしい発見はほぼありません。それを前提としたうえで、単なる林道オタクの散策日記としてご覧いただければと思います(笑)。
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今回の探索には、トレールMD36さんが同行してくださることになった。トレールさんとご一緒するのは2年前のツーリング以来となる。川越で待ち合わせをして、今日は珍しく車で小鹿野までやってきた。週間予報ではずっと土曜に傘マークが付き、直前までやきもきとしていたが、前日夜の気象情報では、直前になって土曜一日は雨は降らなそうとの予報に変わったので決行することにした。しかし、当日朝の予報では一転、午後から傘マークがついてしまった。空を見上げると、確かにいつ降り出してもおかしくなさそうな、どんよりとした重苦しい雲に覆い尽くされている。こんな天気、車じゃなければはなっから延期にしてるよ・・・。
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今日はTKさんもご一緒してくれるとのことで、道の駅両神温泉薬師の湯で待ち合わせ。到着して程なく、KYさんがVTRでお見送りに来てくれた。その後少ししてTKさんもXB12XTで到着。そういえばTKさんのビューエルの実物を見るのは今日が初めてですね。こんな日にビューエルでつきあわせちゃってスイマセン・・・。
それでは早速、県道367号薄小森線へと向かう事にしよう。
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というわけで、いきなり端折ったが林道譲沢線の起点前にやってきた。ここに車を置いて、歩いて林道を上って行く。
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KYさん、お見送りありがとうございました。それでは行ってまいります!
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どうあがいてもこれ以上天気の好転する気配の無い空の下、起点から続くコンクリート舗装の道を上って行く。林道の行き止まりの先へと歩いて行くことはたまにあるけど、起点から徒歩で進んでいくのって、何だか妙な感じだ・・・。
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地図とGPSを照らし合わせながら、目指す点線区間との分岐地点を探す。
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やがて、林道の終点に近付いてきたところで、道の脇に用途不明の石垣を見つけた。写真では少し分かり辛いが、人の背丈ほどの高さに段があり、その奥にさらに石垣が造られている。
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手を伸ばして段の上を撮影して見ると、1m程の幅の平場となっている。一体何の為の構造だったのだろう。この平場に何か資材を積んでおくためか、あるいは、ここが林道となる以前に、この周囲に建物でも建っていたのだろうか。
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で、実はその石垣の地点は、目指す点線区間との分岐からは通り過ぎた地点だったので、少し戻って本来の目的である徒歩道へと入る。この道そのものは、どう見ても軌道跡ということはあり得ないとは思うが、この先でもしかしたらなにかしら当時の痕跡でも残っていないだろうかと、淡い期待を抱いて狭い道を上って行く。
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道を上って行くとすぐに、木造の小屋が建っている。このすぐ裏手には祠が祭ってあったので、その祠を何かしら管理する為の物なのかもしれない。
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その建物の前を延びる徒歩道を、奥へ奥へと進んでいく。TKさん、こんな道につきあわせちゃってスイマセン・・・。
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小屋の前から少し歩いた地点で、斜面の崩落によって唐突に道が失われた地点に出た。この地点、確かに林道を上ってくるときに見てはいたのだが、まさかこの歩道まで持って行かれているとは・・・。
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とりあえず崩落箇所を捲いて行けるかどうか斜面を上ってみるが、このまま進んでいっても隣の山へと出てしまうし、何より、どう考えてもここに軌道跡は無いであろうとの判断から、この徒歩道を引き返すことにした。
この後は当初の予定を変更し、軌道の終点があったとされる広河原まで一気に車で向かい、その周辺を探索して見ることにした。
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県道へと戻り、広河原へ向けて進んでいくと、やがて路面に雪の残る区間が現れた。ええっ、まだこんなに残ってるの?TKさんによれば、秩父方面では今週月曜に降雪があったようだが・・・。TKさん、ビューエルでこんな道につきあわせちゃってスイマセン・・・。
で、実はこのまま車で進み続けているうちに、うっかり目的の広河原を通り越して、この県道の最奥を起点とする林道小森線まで行きついてしまったので、再びこの残雪の区間を引き返して本来の目的の広河原を目指す。
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ところでこの県道沿いには、所々で対岸に石垣が残る地点がある。軌道は県道に転用されたとのことだし、そもそも軌道敷はこちら岸だったはずなので、軌道の直接的な痕跡ではないとは思うが・・・。
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この石垣も、当時の軌道に関わる何らかの物なのだろうか。うーん、悩ましいぜ。
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そんなこんなで、ようやく軌道の終点があったという広河原付近まで戻ってきた。
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振り返ると、確かにこの地点から奥は、ここまでの区間に比べて斜度が上がって行っている。広河原が軌道の終点であったということを裏付けているようにも見えるが、そういえば、その後も軌道は延長されたとの記述があったけど、この先にも軌道が延びたことがあったのか・・・?
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この区間の脇を見ると、現道の下に、川に沿った平場がある。
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この平場、現在では現道との分岐地点付近に旅館などの建物が建っているが、もしかして、軌道時代はまさにここがその軌道敷の終点だったのではないだろうか。写真に写る建物の向こうでこの平場と分岐して緩やかに斜度を上げていく現道は、軌道廃止後に更に奥へと車道を通すために、軌道跡より山側を新たに開削していったのではないだろうか。
っていうか、そうだと良いなー、って妄想しながらこの場所に立ってましたよ(笑)。
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そして、この平場の一番奥の地点から対岸を見ると、またしても何やら石垣のような構造物が見えている。
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ん?あれは・・・橋台か?
あの橋台の向くこちら岸には、それと対になる橋台は無いが、代わりに大きな自然の岩が突き出ている。架橋されていた当時は、こちら側の岩と対岸の橋台を利用して橋を架けていたと思われる。
それにしても、この深緑色に苔生した石垣、何と素晴らしい風合いだろう。軌道時代に造られたものかどうかはともかく、ただこの佇まいを眺めているだけでウットリしてしまう・・・。もう少し暖かい時期になったら、再訪して対岸へと渡ってみたいものだ。
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そしてその橋台の上からは、奥へと平場が続いている。恐らくは資材置き場など、何らかの作業小屋でも建てられていたのだろう。
この石垣を眺めながら、(きっとこれは軌道時代の遺構であろう・・・)と、そう信じたいナノレカワなのであった。
自分は石垣の構造については全く詳しくないのだが、この石垣の積み方で、この橋台の造られたある程度の年代は分かるかもしれないな。それを調べれば、この橋台が軌道時代のものであるか、そうでないかを特定できるかも・・・。
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県道を更に下り、地図上の点線区間が県道へと合流する市場沢橋付近まで戻ってきた。
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あの石垣から延びる徒歩道が、地形図に記された点線区間と思われるが、あの先はほぼ斜面を直登するかたちとなっている。ここを軌道が通っていたということはまず無いだろう・・・。
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広河原を後にして県道を引き返していると、対岸にはまたも石積みされた遺構がある。
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どうやら炭焼き窯のようだ。石の表面は緑色に苔生し、その存在にもかなりの年季が入っていることが窺えるが、今なおしっかりとした構造を保っているように見える。対岸へと渡って直接中を覗いてみたい衝動に駆られたが、周囲には対岸へと渡れるような足場が見当たらず、無理をしてこんな時期に川にでも落ちたら洒落にならないので、後ろ髪を引かれつつも川を越えることは自重しておいた・・・。暖かくなったら改めて訪れてみたいものだ。
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炭窯へと辿り着くことが叶わず、並んで写真を撮って我慢するナノレカワとトレール氏(TKさん撮影)。ううむ、傍から見ると何と怪しい姿だ・・・(笑)。
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そんなことをしているうちに、とうとう空からは雨が降り落ちてきてしまったので、この辺りで本日の小森軌道の探索を終えることとした。来訪前の、点線区間=軌道跡という妄想は残念ながら期待外れに終わり、事前情報のとおり、県道上にも当時の軌道の痕跡は残っておらず、対岸の構造物も、軌道時代のものという確証も得られない、何ともヌルい結果となったが、かつて軌道が通っていたというこの道を、当時のトロッコに思いを馳せながら辿ることが出来ただけでも今日のところは良しとしておこう。
道沿いの集落で、当時の様子を知っているようなじいさまでも歩いていれば、何か話でも聞くことが出来ないかと期待もしたのだが、この天気ではそれも望むべくもなかったか。もう少し暖かくなったら、ツーリングがてら改めて訪れてみるとするかな。
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