武州中津川森林鉄道探索
2011/05/03 埼玉県秩父市 中津川林道・他 @
 
※今回の日記は、林道ツーリングらしさがかなり希薄ですのでご注意ください。(何に?)
 
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 埼玉県秩父市から長野県川上村へと至る、秩父市道大滝幹線17号線。現在でもその総延長のほとんどが未舗装区間として残るこの路線は、埼玉県と長野県を繋ぐ唯一の車道としても知られ、林道好きにとっては今も旧国有林林道時代の名称、中津川林道として親しまれている。その旧中津川林道は、1966年(昭和41年)に有料林道として開通しているが、元々はそれ以前に存在した武州中津川森林鉄道の軌道敷を改修・延長したものである。

 武州中津川森林鉄道は、第二次世界大戦時の木材需要の高まりにより建設がはじめられ、1943年(昭和18年)から1955年(昭和30年)にかけて本線の総延長9805mが完成している(参考:『全国森林鉄道』JTBパブリッシング刊)。その後、この線を延長すれば長野県へと到達できることから、1959年(昭和34年)から改修工事に着工し、三国峠へと至る現在の車道へと生まれ変わった。

 今まで何度となく走ったこの中津川林道、かつての森林鉄道時代の名残はほとんど残っていないものだとばかり思っていたが、森林鉄道を扱ったサイトなどをいろいろ見ていると、今でも僅かながら林鉄時代の痕跡が残っていることが分った。そうと分れば黙ってはいられない。冬季閉鎖が明けたばかりの中津川林道へ、早速探索へ出かけるとしよう。
 

 ふれあいの森まで一気にやってきた。天気は生憎の曇り空、5月だというのに思った以上の寒さで、すっかり体も冷え切ってしまった。ここで写真を撮っていると、この施設で働いている年配のおじさんが話し掛けてきた。

 「ずいぶん早くから来たねえ。」
 「ええ、でも今日は寒かったですね〜。」

 すると、奥の施設でコーヒーを出しているから飲んでいけば、とのことだった。人の優しさが冷え切った身体に沁み入ります。しかしおじさん、私には行かねばならぬ場所があるのです。そのお気持ちだけありがたく頂戴いたします。
 
 
 この森林科学館の建つ場所が、かつての森林鉄道の起点だったという。中津川に来た時はかならず立ち寄るこの場所も、そういった背景を知ると何とも感慨深い。
 さあ、それでは早速進んでいくことにしよう。
 
 
舗装区間を少し進んで行くと、道の脇に浄水場の建つ場所がある。この敷地の脇にレールが転がっているらしいが・・・。
 
 
 あった!見たところ、標識の支柱として転用された痕跡もなく、当時のまま残されているようだ。ほんのちょっとした物件だけど、気分が盛り上がりますね(笑)。
 
 
 ダート区間に入る。ここから程なくして最初の目的地が現れるはずだ。
 
 
やってきました、まず最初の目的地です。先程の素掘りのトンネルと違い、正面に見えるコンクリートで形作られたこのトンネルは、軌道の車道化の際に新たに掘られたのだろう。
 
 
そして、このトンネルの手前から、山肌に沿う様に細い道が延びている。ここがかつての森林鉄道の軌道敷きの跡なのだ。ここから先へは徒歩で進んでいく。BAJA君、ちょっとそこで待っててね。
 

 初めのうちは、なだらかな斜面の中に延びる平場のうえに落ち葉が積もり、単なる歩道のような雰囲気。
 
 
 だが、更に進んでいくと、明らかに人の手によって拓かれた、垂直に切り立つ岩の壁が現れる。路面には落石や落ち葉が散乱しているが、それでもこの人工的な地形から、かつてここに敷かれたレールの上をトロッコが走っていたことは窺い知ることが出来る。
 
 
 上の写真と同じ地点を振り返って撮影。ここのように、場所によっては崩れた土砂が堆積し、路面を完全に覆い尽くしている場所もある。
 
 
足元には中津川が流れている。この高さなら誤って滑り落ちても死ぬことはないだろうが、上ってくるのも大変そうなので、足元に気を付けながら崩れた土砂の上を渡って行く。
 
 
 更に進んでいくと、右手に延びる軌道跡と分れ、川辺に降りられそうな踏み跡のような場所が現れた。どうなっているのか、少しだけ足を踏み入れてみると・・・。
 

 ・・・うおっ!
 
 
 い、石垣だ!!
 
 
 こ、これは素晴らしい・・・!現在の車道からほんの少し離れた山の斜面の中に、かつての軌道の痕跡がこんなに綺麗にその姿を留めているなんて!
 
 
 石垣を見つけてかなり興奮してますが(笑)、気を落ち着かせて更に先へと進んでいく。路面には至る所で木々が成長し、廃止されてからの年月を感じさせる。
 
 
 更に進んで行くと、その先で進路は右手へとカーブしているようだ。
 
 
 路面の中央には、巨大な岩が転がり落ちている。その脇をすり抜け、進んだ先から振り返ってみると・・・。
 
 
 で、出た!切り通し!!うおお、これまた素晴らしい!
 
 
 この荒々しく削られた岩壁の間に、かつて木材を積んで走っていたトロッコの姿を思い浮かべる。あぁ、至福の時・・・(笑)。
 
 
 切り通しを堪能し、更に先へと進んでいく。
 
 
 もうすぐ現道へ合流するが、こちら側は車道のすぐ脇まで石垣がしっかりと残り、レールや枕木こそ残されていないものの、平坦に均された路面の様子ははっきりと見ることが出来る。
 
 
 車道に出る前に振り返って名残を惜しむ。あぁ、なんて素敵な景色・・・。
 
 
 ひとしきり軌道敷き跡を堪能し、車道へと戻ってきた。トンネルの外側を巻くほんの僅かな距離に、今なおこれだけの遺構が残されていたとは。本当に素晴らしい。
 
 
 最初の探索でかなり感動してしまったが、まだ先にも目的地はあるので、再びBAJAに跨り先を急ぐ。
 
 
 ところで、この中津川林道沿いには、かなり年代を感じさせる交通標識が今も数多く残ってるが、その支柱には、やはりかつての森林鉄道のレールを転用したものが多い。
 
 
 この支柱も、黄色く塗装こそされているものの、その形はレールであることがはっきりと分る。一見地味だけど、これもれっきとした森林鉄道時代の名残なのだ。
 
 
 うん、いいですね(笑)。
 
 
 さて、続いてやって来たのはガク沢橋。
 
 
 銘板には昭和35年竣工と書かれている。車道への改修が始まったのが昭和34年なので、この橋自体が車道化の際に造られたことが分かる。
 
 
 が、橋の下にはかなり低い位置に橋脚のようなものが見える。あれは一体何だろう・・・?
 
 
 さて、橋を渡ると、こちらはすぐに石垣が見えている。その上を歩いて進んでみよう。
 
 
 石垣の先にある橋台は、既に先端が崩れ落ちてしまっている。
 
 
 ふと足元を見ると、鹿の骨が転がっている。改めて辺りを見回すと、同じ個体のものと思われる骨が一面に散乱していた。ひぃ〜・・・。
 
 
 そして、この橋台の場所から対岸を見ると、かなりしっかりとしたコンクリート製の橋台が残されている。今度は向こう側へ渡ってみよう。
 
 
 ガク沢橋の上からだと、こんな感じに見えている。あの上まで渡ることはできるのかな?
 
 
橋の袂から橋台のほうを見ると、斜面が崩れてしまっていて、こちら側にもかつては石垣があったのかもしれないが、その痕跡は分らなくなっている。人ひとりはなんとか通ることが出来る路面の上を伝って橋台の上まで行ってみよう。
 
 
 おお!近付くまで分らなかったが、橋台がカーブしている!きゃー素敵!!
 
 
 その上を歩いて先端まで行くと、路面が陥没し、その中から植物が伸びてきている。コンクリートの遺構に絡みつくツタに時の流れを感じる。これは感動だ!
 
 
 川沿いまで下りて橋台を見上げる。苔生したコンクリートの表面の風合いが素晴らしいですね。
 
 
 BAJAへと戻り、更に先へ進む。途中の道沿いにも石垣の並ぶ区間があるが、これらも林鉄時代のものなのだろうか?それにしてはだいぶ幅員が広いような気もするが、車道化のときに造られたものなのかも知れない。
 
 
 さて、中津川に来たら、ここには立ち寄っておかねばなるまい。林道大山沢線である。
 
 
 相変わらず道自体は通行止めが続いているが、旧タイプ標識もいつもと変わらず無事にそこに立っています。ビバ、旧タイプ!
 
Aへ続く。