そうだ、山形も行こう
2019/09/14-A 山形県米沢市・万世大路〜栗子隧道
 
@はこちら。
 
 磐梯吾妻スカイラインを下りきり、そこから30分程かけて、県境を越えて山形県米沢市にやって来た。ここは国道13号から採石場へと分岐する地点。そう・・・。
 
 この先には、旧国道13号「万世大路」と、かつて福島〜山形県境を貫いていた栗子隧道がある。以前、福島側の万世大路と栗子隧道を訪れてから9年、ずっと訪れたかった山形側を、ついに辿る日が来た。
 
 ちなみに、この万世大路入り口の脇に立つ国道標識には「川越石」との文字が。うはは、ここまで来て「川越」の文字を見るとは思わなかったよ(笑)。
 
 旧道の入り口のある採石場までは採石会社の私有地となっているようで、こんな感じの砂利道を2kmほど進んでいく。
 
 採石場まで辿り着くと、右手に採石会社の事務所がある。ここを通過するときは事務所に一声掛けるほうが良い、と万世大路関連のレポでよく見ていたので、中にいた方に万世大路に行きたい旨を伝えると、入山届に住所氏名と入山時間を記帳するシステムになっていた(帰りにも立ち寄って下山時間を記帳していく)。まあ、事前情報通り、土曜でも採石場が稼働していて、万世大路に行くには必然的にその中を通過していくことになるので、さすがに無断で通過することは出来ないと思うが(笑)。
 記帳しながら事務所の方と少し話をしていると、こんな冊子を頂いた。これ、万世大路見どころマップや、過去の抗口の写真なども載っている、なかなかの優れモノなのだ。
 
 絶賛稼働中の敷地内を通過して200mほども進むと、右手に旧道に入る分岐が現れる。その分岐地点に掛かっているのが、この瀧岩上橋だ。おおお・・・おおお!ついに!ついに来たぞ!もうね、ここにたった瞬間、「ついに来たぞ!」って本当に声に出したからね(笑)!
 
 ここから栗子隧道まではあと4.1km。うおお、めっちゃワクワクするぜえ!それじゃ行ってみよう!
 
 橋を越えてまず現れる路面は、とてもしっかりした轍が付いている。中央部分に雑草こそ盛り上がって生えてはいるが、そこそこフラットな林道のようだ。
 
 途中、道の脇に、パイプから流れ出る水を受け止めている鉄の箱が置かれていた。
 
 写真でも結構な勢いでパイプから噴き出ているのが分かると思う。現地では一体なんなんだろうと思ったけど、どうやら井戸のようだ?
 
 そんな道を少し進んでくると、道の上にロープが渡された地点に着いた。
 
 このロープのことは事前に知っていたので、最悪ここから歩いての往復も覚悟していたのだが、実は先程事務所に立ち寄ったときに、このロープを外すか、その脇を通って行って良いと聞いていた。
 
 確かに、その脇には4輪の車両が通れるだけの道が出来ていた(かなりぬかるんではいるが)。
 事務所で声掛けしたときに、中から見える位置にBAJAを停めておいたので、俺がオフロードバイクで来たことは分かったのだろう。看板には路面の荒廃のため車両進入禁止とは書かれているが、要するにその荒れた路面を通行可能な車両なら通っても良いとの判断なのだろう。
 
 なので、この先もありがたくBAJAと共に進ませていただく。ここまで路面はそこそこ締まって見えるが、中央の雑草地帯を頂点に、両側に向かって路面が傾斜しているので走行にはそれなりに気を使う。
 
 路肩には、このように木の種類を書いた札が立てられている。これらは萬世大路保存会によって立てられたものだ。
 
 この辺りなどはかなり穏やかな路面に見えるが、ここでも谷側に路面が傾斜しているので、そういった場所では多少キャンバー走行的なことを意識しながら進んでいく。
 
 ああ、これが米沢側の旧万世大路かあ。先程の瀧岩上橋を越えてからというもの、ずっと気持ちがワクワクしたまま収まらない!
 
 途中の道の脇には、時折このように杭が立てられた場所がある。
 
 ここは茶屋の跡だそうだ。かつて峠越えをして来た人達がここで休んでいったのか。そういうことを考えていると、今いるこの場所がその時代にぐっと近づく気がする。
 
 カーブもかなりタイトな半径で標高を稼いで行く。当時は路面の状態こそ今より遥かに良かったはずだが、かつてはこんな道をバスなども走っていたというから驚きだ。
 
 途中にはこのように、栗子隧道までの距離を記した杭も立てられている。あと3kmか、じわじわと近づいていることを実感出来てすごく楽しい!
 
 路面は、ここが廃道となってから半世紀近くも経った道とは思えないほど、穏やかな表情を見せる区間も残っている。
 ただこの道も、これまで様々なWebサイトなどで見てきたような、もっと廃道然としていた路面状況は全く見られず、こうしてオフロードバイクが普通の林道ツーリング程度に通行可能な状態に整っているのは、やはり保存会の手によるものなのだろう。「整備された廃道」というのも何だかおかしな表現だが、かつてここを自動車が通っていた頃の面影を復元しようという方針なのかも知れない、なんて思った。
 
 それでも事前に予告されていた通り、進むにつれてやはり少しずつ路面も荒れてくる。写真を撮るときはなるべくBAJAを穏やかに停車出来る場所を選んでいたので、実際写真に残っているのはそれほど酷いところは多くはないのだが(もっと撮っておけば良かった・・・)。
 
 ここは水の流れた溝が路面を横断してしまっている。今はまだ車両の通行も可能な程度だが、いずれ深い溝になってしまうのだろうか。まあ、そうなっても保存会が修復しそうな気もするが・・・。
 
 木漏れ日が綺麗だったので、路面の穏やかな地点でBAJAを停めて撮影。ってか、ここから少し歩いてでも、もっと荒れた路面のところも撮っておけば良かった・・・。
 
 こんなところは、普通の林道っぽく見えるけど、そろそろ轍が深く抉れた場所なども出てきてはいるんだぜ・・・。
 
 それでも、かつての街道の面影を色濃く残すような穏やかな路面状態の区間もある。ここなどは普通乗用車でも楽に走れそうなレベルだ。
 
 ここまで終始木々に囲まれていたが、初めて空が開けた日当たりの良い地点に出た。すると、路面はいきなりその全面を雑草に覆われていた。こういうところを見ると、やはり廃道なのだということを実感する。そして、あれだけ晴れていたはずの空が、峠方面だけ曇ってきているのが見えた。ま、まあ雨の降るようなものではないと思うが・・・。
 
 ただでさえ路面が傾斜した場所が多く、リアには重い荷物も積んでいるため、相変わらず写真は穏やかなフラット林道のような場所の様子しか捉えられていないが、実際はだいぶ路面の荒れた場所も増えてきている。勾配がきつめのカーブで尚且つ抉れた轍に深い水溜りが出来ている、なんてところもあったりして、そういった場所では、2輪2足で何とか越えていった。
 
 ここ、写真ではちょっと分からないかもだけど、轍の上を水が川のように流れている。ここまでに付いたタイヤの泥を落とすにはちょうどいいかな、って気もするけど、どうせすぐまた泥だらけだ(笑)。
 まあ、ここはまだそんなことを考える余裕もあったが、ちょっと深くぬかるんだところなどでは、泥にタイヤを取られて滑りそうになることもしばしば・・・。
 
 そんな道をゆっくりと進んでくると、いつの間にか隧道まであと僅か500mの地点まで来ていた。おおっ、あともう少しじゃないか!いよいよだ、いよいよ隧道を見られる!という期待を胸に走っていくと・・・。
 
・・・お・・・っ!
 
おおおおおっ!
 
遂に!遂に来たぞ!
 
 これが栗子隧道の米沢側抗門だ!福島側抗門を訪れてから9年。とうとう反対側にやって来た!向かって左側が、昭和12年に完成した第2世代の「栗子隧道」、向かって右側が明治14年に完成した初代の「栗子山隧道」だ。新旧の抗門が立ち並ぶこの光景を、ずっと見たかったんだ!
 
 しかも、以前福島側に行ったときは途中で徒歩に切り替えての到達だったが、今日はこの抗門前までBAJAと一緒に来ることが出来た!もう感無量である!
 それはそうと、ここに写るBAJA君、やけに傾いて見えると思いません(笑)?
 
 ・・・いきなりBAJA君が場所を移動して荷物も全部下ろしてますけど・・・。
 上の抗口前の写真を撮っているときに、地盤が緩くてスタンドがめり込んでしまい、そのままBAJAが倒れてしまったので、慌てて荷物を外して引き起こし、安定した地面の場所まで移動してきた次第・・・(笑)。こんな山奥で何かあったら大変だと、写真も撮らずに慌てて引き起こしちゃったんだけど、栗子隧道の前で倒れてるBAJAの写真、やっぱり撮っておけばよかった・・・(笑)。
 
 では落ち着いたところで、それぞれの隧道を見ていこう。まずは、自動車道としての改修を受けて造られた、2代目である栗子隧道から。
 
 扁額に誇らしげに刻まれた「道隧子栗」の文字。遂に両側を制覇だ!
 
 抗門表面の煉瓦は、福島側と比較すると風化が著しく、だいぶ欠けてしまっている。
 
 中を覗くと、ほんの2〜30m先で内部が崩落していて、土砂が積み上がっている。隧道前の立て看板には、内部は立入禁止と書かれてはいるが、それが無くてもあの崩落箇所を見れば、怖くて中に入ろうなんて気にはなれない・・・。
 ただ、それでもかつてこの内部に、天井からぶら下がっていたという剥離したコンクリート片などは全く見られなかった。そういったところも保存会によって管理されているのだろう。
 
 天井からは、コンクリートのヒビから鍾乳石が伸びてきている。これはコンクリート中のセメントが石灰分を含むために起こる白華現象と呼ばれるものらしい。
 
 隧道の手前には、「栗子隧道碑記跡」と書かれた杭が立っている。かつてここに建てられていたその碑は、現在は道の駅米沢の敷地内に移設されているそうだ。
 
 その杭の脇には、三島通庸県令の和歌を書き記した看板も。明治の時代に、日本最長として掘り進めた隧道が貫通した瞬間の喜びを詠んだもののようだ。その喜びの大きさはどれほどのものであったろうか。
 
 そしてこちらが、この地で山形と福島の県境を貫いた初代の道路隧道である、栗子山隧道の抗口だ。
 
 こちらは抗口から崩落が進み、かなり歪な形状となってしまっていて、路盤には崩落した岩が積み上がり、その表面は苔生している。
 
 ここから見えるこの光景・・・まるで天然の洞窟にも思えるほどだが、かつてはここを馬車や荷車が確かに通行していたのだ。
 
 栗子山隧道の脇には、斜面から沢が流れ落ちていてとても雰囲気が良い。ここでしばらくこの光景に見惚れてしまった。
 
 ここに栗子神社碑跡と書かれた杭がある。栗子神社を検索してみたところ、かつて栗子隧道西口にあった神社について解説している資料を見つけた。明治17年に写生されたという、神社を含む隧道西口の絵も掲載されているので、興味があれば見て欲しい。

 参考:栗子神社(栗子母智丘神社)の謎―母智丘神社と御祭神・豊宇気毘売神について―(.pdf)
 
 ひとしきり隧道抗門を堪能して、めったにやらない自撮りもやってみた。9年前に福島側を訪れたときも、到達記念に自撮りをしていたのだが、あのときは確か片腕を上げて撮ったとなあ、と思って同様のポーズをしてみたところ、見事に逆側の腕だった。まあ、隧道の両側ということで、ちょうど左右対称でいいんじゃないかな(?)。
 
 本当に素晴らしい遺構、そして居心地のいい場所だ。ひとしきり堪能したつもりだったけど、まだまだ離れがたくて、しばらく隧道を眺めたり、写真を撮ったりして過ごした。
 
 栗子隧道、本当に素晴らしかった。この地に残る隧道の姿も感動的だったし、今回BAJAと共にここまで来れたことで、かつて現役の車道だった頃の空気を、より感じることが出来たような気がする。ここまで来て本当に良かった。
 
 本当だったら、この後福島側にも立ち寄って、せめて二ツ小屋隧道でも見て行こうかな、なんて考えていたんだけど、ここですっかり満足してしまい(笑)そのまま帰路に着いた。いずれ再訪するときこそ、両側をまとめて訪れよう。さらば栗子隧道。また来るぞ!
 
 
----------おまけ----------
 
 帰り道の途中で、今回のツーリングで唯一見つけたまといリス。しかも、初めて見るポーズ!ナノレカワ大歓喜(笑)!