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木製の赤い鳥居に「天満宮」の扁額。鳥居は、一度倒れてしまったことがあったのか、ワイヤーで支えられていました。
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鳥居の左脇に、これは天満宮とは直接関係はなさそうですが、林道改修記念碑が立っていました。
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林道の名前は「本丸三ツ丸線」だったようです。この天満宮の前を通る道のことでしょうか。
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竣工は昭和16年3月、太平洋戦争が始まる少し前ですね。他には施工費や施工者などが記されていました。
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一の鳥居をくぐり石段を上ると、二の鳥居の手前に2対の牛の像があります。
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その扁額には、文字ではなく3階建て(?)の鳥居が描かれていました。これがどういう意味なのか少し調べてみましたが、具体的な内容は分かりませんでした。
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こちらは下から1対目の像の、向かって左側の牛。割と写実的な造形がなされています。上面は苔に覆われています。
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顔を正面から。鼻の穴の中に何かが詰まっているように見えますが、これは鼻輪のような何かが付けられていた名残りとかでしょうか?全くの想像ですが・・・。
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背中はゆるやかな曲面で構成され、牛のどっしりとした体形がよく表現されています。
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こちらは1対目の、向かって右側の像。頭部が欠損していますが、脚や蹄の造形は左の像よりも苔が少ない分、はっきりと分かります。
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背中側も、脊椎に沿った造形がはっきりと分かります。サイズは小振りですが、生命感に溢れています。
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こちらは2対目の左側の像。1対目に比べてだいぶ簡素な造形で、足なども円柱を直角に曲げたようなシンプルな形状となっています。目は筋彫りのみで表現されています。
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胴体も、側面がスパッと垂直に切り立った簡素な造形でその形状からなんだか飯盒を連想してしまいました。
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基本的に、姿勢は左の像と鏡写しのように作られています。
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2対目の像には、奉納された年月が記されていました。昭和52年だそうです。(1対目の像には見つけられませんでした。)
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