柊木神社
 
 
 柊木神社全景。
 
 鳥居をくぐった先に小振りな社があり、その手前に一対のお犬様が置かれています。
 
 社に向かって右手のこちらが阿形、と思われる像。
 全体的に簡素な造形が成されており、埼玉県内の他のお犬様像と比較しても突出したシンプルさだと感じます。
 
 こちらの像を「阿形と思われる」と書きましたが、なぜそう書いたかと言うと、はじめ、こちらのお犬様は歯が噛み合っていたので吽形かと思ったのですが、対となるもう一体のお犬様と比べて口の開きの幅が大きいので阿形なのではないかという気がします。
 顔の造形もとてもシンプルで、特に目などはアウトラインを筋彫りで表現した簡素なものとなっています。このタイプの表現は皆野町の野巻椋神社でも見られるものです。
 
 阿形の頭部を反対側から。こちらから見ると目尻への影の入り方からか、また少し表情が違って見えます。
 
 この柊木神社のお犬様で特徴的なのが、この前足の造形です。大きく「く」の字に湾曲した脚部と、前方に迫り出した肩甲骨が印象的です。
 
 阿形の全身を社側から。こちら側から見ると肩甲骨の張り出し具合がよく分かると思います。
 
 背面から。全体的につるんとした造形で、お犬様によく見られるあばらの造形は成されてはいないようです。
 
 阿形の尾。後ろ足に沿って手前に丸め込むように造形されています。
 また、前足は爪先にしっかりと指の造形も彫り込まれています。
 
 阿形の台座込みの全体像。
 
 そして、社に向かって左手のこちらが吽形。
 
 吽形の頭部のアップ。こちらは牙が噛み合っていなくて口に隙間があるので阿形のように思ったのですが、先述の通り開きの幅がこちらのほうが小さく、犬歯も下唇に掛かっているのでやはりこちらが吽形なのだと思います。
 
 吽形の頭部を反対側から。右目の部分が白化して眼帯のようになっています。
 
 こちらも特徴的な前足の造形は阿形と同様ですが、それ以上に特徴的な点が、前足で抱えられた子供の存在です。一見するとつるんとした丸餅のような造形ですが、良く見るとちゃんと顔が彫り込まれているのが分かると思います。
 
 吽形の全体像を社側から。
 
 吽形を背面側から。
 
 吽形の尾も、阿形と同様の造形がなされています。
 
 吽形の台座込みの全体像。
 
 このお犬様、いつ頃奉納されたものなのだろうと思い台座を見てみると、昭和十一年と記されていました。なかなか年季の入ったもののようです。
 
 阿形、吽形を正面から。こうしてみると、二体を阿吽それぞれに判別した理由が分かるのではないかと思います。
 
 社の中には「柊木大神」と書かれた扁額があります。
 
 そして、社の手前にももうひとつ扁額がありますが、何て書いてあるのかが判読出来ず・・・(「柊神社」という話もあるようです)。
 
 社の中には、陶器製の狐様の像がたくさん置かれていて、稲荷神社ともなっているようです。祠がふたつ置かれていて、それぞれお犬様とお稲荷様を祀ったものでしょうか。
 
 お稲荷様の石像。三峯神社に、この造形に似たお犬様がありますね。造形的に何か繋がりがあるのでしょうか。
 
  祠の前に置かれた小さな石像。ぱっと見でお犬様かと思いましたが、尾の形状を見ると狐様のようです。このサイズの石像は1体しかありませんでしたが、元は対となるもう1体があったのでしょうか。
 
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 この柊木神社は、この土地の逸見家の氏神として敷地内に祀られているものだそうです(これを書いていて気づきましたが、社の中に置かれたダルマにも「逸見」の名が書かれていました)。
 この柊木神社、写真でもお見せしたように、お犬様とお稲荷様が一緒に祀られているのですが、どういったいきさつによるものなのでしょうか。

 かつて贄川には三峯神社の一の鳥居があり、三峯神社への10kmにも及ぶ山越えルートの入り口とされていたため、参拝者は往路・復路ともに贄川宿で宿泊するのが常だったようです。
その一の鳥居が、大正初期頃に贄川〜大滝村大輪間の道路が開設されたことにより大輪に移転され、さらにはその後の昭和5年の秩父鉄道全通などによって三峯神社への所要時間が大幅に短縮されると、贄川は三峯への参拝ルートから外れてしまい、徐々に宿場としての機能が縮小していったようです。
 その他にも、旧贄川村と旧白久村の合併による、商業機能の白久側への移動などもあり、明治頃までにあった贄川の中心機能なども次第に減少していったとのことです。
 (参考:「荒川村贄川における集落機能と生業形態の変化」河野 敬一・平野 哲也 著 pdf資料←クリックするとダウンロードが始まりますのでご注意下さい。

 柊木神社のお犬様の奉納は、台座に記されたとおり昭和10年とのことですが、この時期にお犬様を置いたということは、狼信仰の本来の火防・盗賊除けの目的よりも、こうした地区の機能の衰退を受けて、かつての三峯神社への宿場としての、贄川の再びの繁栄の願いを込めて、元々稲荷神社だった柊木神社に、三峯神社の御眷属であるお犬様を祀ったのではないかと、これは僕の勝手な想像ですが、そんな気がしてなりません。