林道東小平線、未だ見ぬその終点へ。
2015/05/01-B 埼玉県本庄市・林道東小平線
 
中津川林道はこちら。→@A
 
 森林科学館前まで戻って来た。ここでちょっとひと息ついて、この後はR140を次の目的地まで一気に進んで行く。
 
 ・・・その前に、国道に出る前に県道沿いでちょっと立ち寄り。
 
 この場所からは、水が澄んでいるときは水中に沈む階段が見えるのだが、今日は水が緑色に濁り、水量も多い為にその姿は見えていない。そこにあると分かっているものが見えていないのもゾクッとするな・・・。
 
 R140を秩父市街地方面へ向けて引き返す。ここは大血川林道へと向かう分岐の少し手前にある大達原隧道だ。以前、この隧道の大正初期に撮影された写真を紹介した。
 
 

『蘇る古道 雁坂トンネルと秩父往還』 山梨県道路公社(平成10年発行)より転載
 
 これが大正初期、完成間もない大達原隧道の、未だ路面に軌条の残る時期の写真だが、今回は、更に少し時代の進んだ、自動車道となった時点の姿を見ていただこう。
 
 

『保存版 秩父今昔写真帖 20世紀のふるさと150景』 郷土出版社(平成15年発行)より転載
 
 これは、昭和初期に撮影された大達原隧道の姿だ。路面の軌条は姿を消し、隧道の奥に走り去るバスの姿が写っている。
 絶壁続きで交通の難所だった大滝村強石より先の区間に道路を通す為、県、武蔵・関東水電両者、そして大滝村民の拠出によって、この大達原隧道が造られたという。大正10年に完成し、これにより入川谷〜豆焼谷方面への道が拓け、やがて雁坂トンネルの開通を経て、山梨へと抜ける秩父往還の車道開通へと至った。
 こういったことを考えながら走っていると、こんなに短いトンネルひとつ抜けるだけでも実に味わい深いものがあります。このトンネルを通過するときに、是非この写真を思い出してみてください。
 
 そのままR140を真っ直ぐ進み、一気に長瀞町までやって来た。先ずはこの林道榎峠線からアプローチ。林道陣見山線へと至る全線舗装林道だけど、今回このページでのレポは割愛!PHOTOSと埼玉版を更新するのでそっちを見てね(笑)。
 
 約3kmの道のりを経て、林道陣見山線に合流。
 
 ここを左手に折れると本庄市へと入る。ここを少し進んで次の林道へ。
 
 続いてこの林道小平線を終点側から下って行く。
 
 ここは「あじさいの小路」となっているらしく、道沿いにはあじさいの木がずらっと植えられているが、さすがにまだシーズンでは無いのでそれらしい雰囲気は皆無(笑)。ここも今回は割愛するよ!
 
 あ!でもこれだけは紹介しておきたい!まるでドクロのような顔をした「マムシ注意」の看板!怖ぇよ!
 え?どーでもいいって?そんなこと言わずに、この林道を訪れた方は是非探してみてください!
 
 小平線を下りきり、小平の集落に入ってやって来たのがここ、林道東小平線だ(現在地はここ)。この根岸橋の地点を起点として先へと延びていく・・・と思ったけど、後からよくよく見ると、正確な起点はこの写真で見えている家の先辺りからだったみたい。
 
 この林道を奥まで進むと、この道標にも書かれた「岩谷洞」なる場所に至るらしい。「らしい」というのは、実は以前この東小平線に来た時に、終点まで到達せずに引き返してしまっていたのだ。当時何故引き返したのか自分でも憶えていないのだが、だから当然、この「岩谷洞」がどういう場所なのかも分かってはおらず、この道の終点がずっと気になっていた。今日は何が何でも終点まで辿り着いてやるぞ!
 
 とはいえ、道自体は2kmにも満たない短い路線のはずだ。じゃあ何でそんな道を途中で引き返したのかって?・・・ん、まあこれから行くからいいじゃない(笑)。
 根岸橋から200m程進んだ地点で、路面は未舗装に変わる。
 
 道沿いに立つ特徴的な木の脇に、一台の軽トラが打ち捨てられている。この軽トラ、不法投棄のようにも見えるが、実は近所の人が「置いてるだけ!」とも取れる、こんな場所ならではの何とも絶妙な立ち位置だな(笑)。
 
 その未舗装路は僅か100m程で終わり、今度はコンクリート舗装へと変わる。
 根岸橋から400m程の地点に、再び岩谷洞への道標が立っている。
 
 ふむふむ、ここからあと1.3kmか・・・って、あれ?「岩谷」?岩谷じゃないの!?
 岩谷洞というその字から、勝手に洞窟のようなものを想像していたんだけど、これだとまったく意味合いが違ってくるぞ!?岩谷堂とは一体何なんだ・・・?
 
 まあ、岩谷堂はともかく、今回はこの道の終点を見ることが第一の目的なのでとにかく進む!以前来た時は殆んど写真を撮っていなかったので、この辺りの景色はほとんど記憶に無い・・・。
 
 あ、でもこの橋は覚えてるな。確かこの先から道の斜度が上って行くんだよな。
 
 その橋を越えて、一旦少し周囲の開けた地点に出た。ここで道の脇にあるものを見つけた。
 
 それがこれ。道標を兼ねた石仏だ。いつ頃立てられた物かは分からないが、かなり古いものであるのは間違いなさそう。この手の石造りの道標は、江戸時代に造られたものが多いそうだが、これもそれくらい古いものなのかな?
 
 その表面には、
 
右 岩谷道
 
 
 と書かれている・・・。
 え?「岩谷」?今度は「」かよ!?確かに、「洞」も「堂」も「道」も、全部「どう」って読むけどさ!結局どれが正しいのよコレ?
 
 と、そんな疑問を抱きつつも、とにかく終点を目指して進んでいく。周囲は杉林に囲まれ、だいぶ鬱蒼としてきた。
 
 ・・・ああ、思い出したぞ。確か以前来た時は、この辺りはまだ未舗装だったはずだぞ。
 
 今では綺麗にコンクリート舗装が敷かれているが、前に来た時はまだふかふかの土の路面で、ところどころでぬかるんでいた場所もあり、この急斜面でのその路面に危険を感じて引き返したんだった。今思えば、あのときのふかふかの路面は、この舗装を施す為に路面を整地していたところだったのかも知れないな。
 
 そして、道標で示されたとおりの距離を上ってくると、突如道の脇に、自動車が3台程度は停められそうな駐車スペースが3か所作られていた。
 
 根岸橋の地点より約1.8km、道の末端まできっちりとコンクリ舗装の施された、ここが林道東小平線の終点だ。
 
 岩谷堂というのは、どうやら本庄市の指定文化財のようで、このコンクリ舗装の路面も、ここを訪れる参拝客のために施されたのだろう。ちなみにこの杭を見る限り、現在の表記は「岩谷」ということで良さそうだな。
 
 なるほど、江戸時代に作られた道場なのか。とすれば、さっきの石仏も、やはり江戸時代に作られたものとみて間違いなさそうだな。
 で、肝心の岩谷堂はどれかな〜?
 
 
”??”
 
 な、なんだよ!ここが岩谷堂じゃねぇのかよ!ここから更にこんな歩道を15分も登るのかよ!
 ・・・って、普段なら15分程度のこんな道なら、登って行くことも厭わないのだが、なにぶん2日連続で普段したことも無いような早起きをした上に、翌日も早朝からの予定があった為に、今日はこれ以上体力を使うことは控えておいた・・・。
 岩谷堂がどんなものかは、本庄市のサイトでも紹介されているので、気になる方はそちらをチェックして見て下さい。ナノレカワ的には、とりあえず今日のところはこの東小平線は「岩谷堂へと至る林道」ということでいいです(笑)。
 
 まあ、中津川の帰りにしてはちょっと離れた場所だったけど、ずっと心残りだった場所を潰せて良かった。何より今日は開通初日の中津川を、文句無しの天気の中を走ることが出来て大満足じゃい!次に中津川へ行くのは、川上牧丘の開通後かな?あ、十文字峠を経由する登山道も歩いてみたいし、あー、やっぱり秩父、そして埼玉楽しすぎるな!