未だ見ぬ森林軌道の終点を目指して
2015/06/07 埼玉県秩父市・赤沢軌道-A
 
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 10:31AM、十文字峠へと向かう登山道と、我々が向かうべき軌道敷とが分かれる地点に着いた。その軌道敷の延びる方向を示す道標の「山道」の文字。この先には特に登山道としての目的地がある訳でもなく、ただ単にここに「道が存在する」という事実だけを示している。・・・でも、なんかじわじわくるね、こういうの。無性に楽しくなってきたよ、ぐふふ〜。
 この地点を通過する登山者の多くは、この「山道」の奥を気にすることもないかもしれないが、我々にとってはこの道を辿ること、そしてその終点を見ること、それこそが目的なのだ。そして、ここで現役の登山道と分れると言うことは、ここからが赤沢軌道の本領発揮といえるだろう。さあ、一体どんな姿を我々に見せてくれるだろうか!
 
 その道標のすぐ先で、路盤にレールが残っている地点がある。路肩には石垣も見えているが、石垣が途切れている箇所は、単に路盤が崩れただけかもしれないが、見ようによってはなんとなく橋台のように見えないことも無い。ここは、流れ込みを跨ぐ為の小さめな橋でも掛かっていたのだろうか。
 
 そのレールは、路盤に残る枕木の上に、犬釘でしっかりと固定されたままになっていた。
 先程見てきた入川沿いに残る入川軌道は、昭和44年の運用廃止後に、実は一度復活したことがある。昭和58年に、赤沢谷出合の手前にある、東京発電の発電所取水口の工事の為に軌道を改修し、1年のあいだ利用されたそうだ。そういう経緯もあって、あの区間に今でもあれだけしっかりとレールが残っているのも頷けるのだが、この上部軌道においては、昭和44年の運用廃止以降は特に手を入れられたことも無いだろうし、今こうしてその姿を留めている遺構は、まさに当時の姿そのままなのではないだろうか。非常に胸が熱くなる光景だ。
 そして、ここに橋が掛かっていたのではないか、と思ったことにはひとつの理由があるのだが、その点については後述する。
 
 そこから程なく、斜面が崩れて路盤が無くなっている場所に出た。一瞬オッ、と思ったものの、良く見ればしっかりと踏み跡も付いているし、斜度もそれほどのものでも無い。そう、追々分かってくるとは思うが、この程度はこの赤沢軌道上ではまだまだ大したことは無いのだ(笑)。
 
 この赤沢軌道、運用廃止後に殆んどの区間でレールの回収が行われたようだが、レールを支えていた枕木と犬釘は、至る所でその姿を見ることが出来る。しかも枕木は、その全身に苔を纏い、なんとも言えない味わい深い姿となっている!これは良い!実に良い!これぞ廃林鉄のあるべき姿だ!(?)
 
 昨日降った雨の所為か、路上にはときおりぬかるんだ場所が現れる。この後うっかりぬかるみに片足を突っ込んでしまい、くるぶしまで泥まみれになってしまった。
 
 ここでは路上に朽ちた丸太が散乱していた。道の向きに揃っているので、まるで意図的に並べたようにも見えるが、そもそも人の手が入っているのならちゃんと片付けるか・・・。ともかく、こんな状態のまま放置されているというのも、この道がどういう性格のものかをよく表しているようだ。
 
 しばらくは路面も穏やかな状態が続き、木洩れ日の射す道を気分よく歩いていると、ふと目の前の景色の変化に気付いた。
 
 山側の斜面が、杉の植林帯となっていた。この赤沢軌道は、前述の通り原生林の開発の為に敷設されたとのことだが、これらは恐らく、その原生林の伐採後に植えられたものなのだろう。手っ取り早く斜面に緑を戻す為に杉を選んだのか、持続的に資源として利用するための植林だったのかは分からないが、どのみち軌道の廃止以降、この区間に林業の手が入ることは無くなってしまった。写真を見ても分かると思うが、斜面を隙間無く埋め尽くすように生えた杉は、当然ながら間伐の手も入ることなくやせ細った幹を、まるで喘ぐように空へと伸ばし、広葉樹に囲まれた周囲の景色の中で、一際異質な姿を晒していた。
 
 何てことを思いながら歩いていると、小さな沢を跨ぐ場所に出たのだが・・・。
 
ふおっ!?で、出た、レール!!
 
 元々は木橋が掛かっていたであろうこの場所。長い年月を経て、橋桁こそ朽ちて消失してしまっているが、朽ちることの無い鉄のレールだけが、軌道のカーブを描いたまま沢を跨いでいた。
 赤沢軌道を辿っていて気付いたのだが、殆んどの区間でレールの撤去されたと思われるこの軌道敷で、嘗て橋が掛かっていた場所だけは、逆にレールが残されていることが多かった。これは恐らく、軌道廃止後の撤去作業や、その後もこの区間への出入りに引き続き橋を利用する為に、その強度を保つ為の補助として、木橋に固定されたレールをそのまま残しておいたのではないだろうか。
 廃止から40年以上が経過した現在、これだけの山奥で簡易的な木橋が残っていることは望むべくも無かっただろうが、出来ることならば掛かったままの木橋の上に延びるレールの姿を見てみたかった・・・。
 
 それと、今写真を見返してて気付いたんだけど、ここ、レールの内側にちゃんと脱線防止用のレールが付いてるのね。こんなところも萌えポイントです(笑)。
 
 更に前進を続ける。木洩れ日に照らされた石垣が実に美しい。
 
 またしても沢を跨ぐ場所に出た。石垣の端に残る橋台が、ここに橋が掛かっていた事実を伝えているが、残念ながらここにはレールは残っていなかった。沢の上流から転げ落ちてきた岩に、橋桁もろとも破壊されたということもじゅうぶん有り得たことだろう。
 
 むせ返るほどに緑の溶け込んだ空気のなかを歩いていく。タマチャリンさんが、「そろそろ凄い切り通しが出てきますよ!」と言う。その先を凝視すると、お、おおおっ・・・!!
 
こ・・・これは凄い!
本当に凄い切り通しだ!
 
 おおおおお!凄い凄い!何だこれ何だこれ!グレイト切り通しグレイト切り通し!
 
 現在時刻10:46AM、赤沢軌道に入って22分が経過した。ここでいきなり赤沢軌道に入って以来の最大テンションになってしまったが、この光景を見れば、それも分かっていただけると思う。現在の車道林道などよりも簡易的に造られた森林軌道だからこその、この必要最小限に荒々しく削り取られたままの切り通しが見せるワイルドすぎるこの景色!もう最高だ!
 タマチャリンさんも「この切り通しだけは何としても見せたかった!」と言ってくれていたのだが、実際にこの光景を見た今ならば、その気持ちが本当に良く理解出来る!タマチャリンさん、これ本当にスゴイよ!
 この切り通しを見た瞬間からもうシャッターを切りまくっていたのだが、あまりにハイになり過ぎて、その間ずっと「おおおー!!」とか「スゲー!スゲー!」とかしか言っていなかったような気がする(笑)。でも、本当にそれくらい感動したのだ!
 
 木洩れ日に照らされた岩肌を目に焼き付けながら、ゆっくりと切り通しの間を通過する。言葉では言い尽くせない至福の瞬間だ。
 
 切り通しの袂には、置き去りにされたままのレールが、その末端を宙に突き出している。ただでさえ素晴らしいこの切り通しの中に、もしレールが敷かれたまま残っていたら、どれほど感動的な光景となっていただろう・・・。
 
 グレイト切り通しを越えて石垣の道を進む。斜面はまたしても杉の植林帯となった。
 
 そして、程なく二つ目の切り通しが現れる。
 
 先程のものよりは幾分小振りではあるが、それでも荒々しい岩肌が見せる表情は林鉄の軌道としての魅力をじゅうぶんに伝えている。なにより、この深い緑に包まれた景色の中に佇むこのシチュエーション!軌道敷に来てまだそれほど歩いているわけではないのにこれだけの景色を見せてくるとは、赤沢軌道、凄すぎるぞ!
 
 更に進むと、路盤が若干流されたのか、足元がやや傾いた地点があったが、そこに苔生した1本のレールが横たわっていた。自然の中に溶け込んだ鉄のレール、あまりにも美しい姿だ。
 
 ここは路上にかなりの量の落ち葉が堆積している。今の季節でこの状態なら、前回タマチャリンさんが訪れた冬の時期がどれほどのものだったかは推して知るべし、だな・・・。
 
 ここは、僅かに人が通れるだけの道幅は残っているが、路盤から落ち込む崖の様子を見るに、嘗てはここにも橋が掛かっていたの
だろう。
 
 おおっ、ここへ来て今までのワイルドな道のりからは想像が付かなかったような、かなりしっかりと施工された姿がはっきりと残るストレートが現れた!路盤もフラットな状態を保ち、レールさえ敷けばすぐにでもトロッコを走らせることが出来る様な状態だ。整然と組まれた石垣がその印象を更に強めているが、その表面を覆い尽くす苔が、この道がどれだけ遠い昔に造られたのかを物語っているようだ。
 
 ただ、運用廃止から既に40年以上が経過したこれだけの山奥で、そのような穏やかな区間が長く続くはずも無く、そのすぐ先で道は登山道としか思えないような姿へと変貌する。ここだけ見れば、先程の石垣の区間と地続きの、嘗てここにトロッコが通っていた路盤とは信じられないような光景だ。
 このように次々と表情を変える道を進んで行くと、いよいよ赤沢軌道の”本気”が牙を剥き始めた・・・。
 
 
 最早軌道敷どころか、踏み跡さえも不明瞭な道(?)を進んでくると、進む先の斜面に横たわる巨木が目に飛び込んできた。お、おいマジかこれ、どこを進めば・・・と思ったが、よく見れば微かな踏み跡はその巨木の上端をかすめるように延びているようだ。手前のやや細めな倒木を跨ぎ、辛うじてここは通過した。
 ちなみにこの倒木、タマチャリンさんが一昨年訪れたときはもう少し斜面の上側にあったらしく、ここを通過するのにかなり難儀したらしい。一見安定しているようで、少しずつ状況は変化しているようだ。
 そして、道がそんな状況になってきたことに合わせるように、先程まで眩い木漏れ日をもたらしていた陽射しが陰り始め、周囲は次第に薄暗くなってきた。なかなかニクい演出をしてくれるじゃねえか、赤沢軌道さんよう・・・。
 
 それにしても、これだけの大木が折れて流されてくるなんて、一体どれほどの衝撃だっていうんだよ・・・!
 俺の林道妄想の一つに、嵐で荒れ狂う林道に降り立ち、木々が薙ぎ倒され道が崩落していく様をこの目で見てみたい、というのがある。もちろん叶うはずもない馬鹿げた妄想だが、こういった光景を見ると、人間など及びもしない巨大な自然の力と言うものについつい惹かれてしまう。
 
 倒木を過ぎても、その先は路盤の消失した斜面に微かな踏み跡が残るだけの区間が続いている。この先にも軌道が存在していた事実を知らなければ、もうここで引き返してもおかしくないような場面だ。崩落した斜面そのものは既に安定勾配に落ち着いているようだが、うっかり足を踏み外して滑落、などということはじゅうぶんに有り得ることだ。気を引き締めて行こう。
 
 ようやく路盤が復活した。ここは路肩から丸太が突き出ているが、残る路盤と石垣との間隔をみると、これは路肩が崩れて狭まった路盤を補強するために造ったものだろうか。こういう様子を見るに、この軌道の現役の運用当時も、幾度となく路盤の流出などに見まわれたのではなかったか。これだけの山奥での軌道敷の補修には、どれだけの困難があったことだろう・・・。
 
 だがその路盤も長くは続かず、またしても斜面に薄っすらとした踏み跡が残るだけの区間が続いていく。沢との高低差もだいぶ縮まって来てはいるので、万が一滑落しても命に係ることは無いとは思うが、骨の一本くらいは持って行かれてしまうかもしれない。この時期だからかなりマシなのだとは思うが、これが冬場の落ち葉が堆積した状態だったら、これ以上進行不能になってもおかしくないレベルだと思う・・・。
 
 それでも何とか歩いてくると、周囲が少し明るくなる地点に出たのだが、そこは斜面が完全に面一になっていた。地滑りが起きたことで斜面の木が無くなり、そこに明かりが入ってきているようだった。ちょっとね、ここを見た瞬間に自然と乾いた笑いが出て来てしまったよ・・・。
 
 しかし、良く見ればここにも、本当に微かな踏み跡が続いている。斜面には苔も付いているし、見た目以上に斜面は安定しているようだ。大丈夫、行ける!
 
 そして、あれだけの地点を通過してなお、またしてもこれだけの軌道跡が残る区間が現れる。嘗てはここに途切れることなく軌道が続いていたことの確かな証拠だ。
 
 ここは、写真中央に写る石垣に沿って路盤が続いているが、その路盤はすぐに崩落によって途切れていた。その路盤から左上方向に延びる踏み跡が付いているのが分かるだろうか。ここはその踏み跡を辿って高巻きをしていく。
 
 写真の右上から左下に延びる平場が分かるかと思うが、あれが元々の軌道敷だ。途中で路盤が崩れている為に、こうして高巻きをするしかないのだが、そんな斜面の上から荒廃して自然の中に消えつつある道を眺めていることが・・・何と言っていいのか、とても良い。
 ガソリンカーなどが導入されていた入川軌道とは異なり、更に上部軌道であったこの赤沢軌道では、人力のトロッコが用いられていたという。嘗てはこの道を手押しのトロッコが通っていた。その姿を想像しながら、再び姿を現すであろう路盤を目指して斜面を進んで行く。
 
 ふと、斜面から生える灌木に巻きつけてある赤テープに気付いた。そういえばタマチャリンさんが一昨年のレポで、いかにも頼りなさげな垂れ下がる赤テープを掴んで、滑る斜面を切り抜けたって書いてたっけな。それは位置的にこことは違う場所っぽいが、もしもこんな斜面が落ち葉だらけだったらと思うと、それも無理も無いことだったろうな・・・。
 
 高巻きした斜面を進み、元の路盤の高さだったであろう場所まで下りてくると、道の脇に堆積する岩石の隙間に挟まる、一本のレールが見えた。ほぼレールの現存していないこの区間にこうして残っているということは、これは現役当時に既に崩れていたのだろうか?
 
 現在時刻11:07AM。高巻きした位置からは下って来たものの、その先も路盤は復活するどころか、地滑りの為に斜面の木々が全て押し流され、周囲が開けて明るくなる地点に出た。
 
 見ての通り、崩落した斜面はそのまま川面へと続き、当然ながらその表面には軌道敷の痕跡などこれっぽっちも残ってはいなかった。幸い、沢との高低差もかなり近くなって来ていたので、ここは一旦平坦な沢沿いへと降りて、この地点を通過することにした。
 
 それにしても凄まじい規模の崩落だな・・・。
 昭和26年の赤沢軌道の全線完成から撤収までのおよそ18年間、考えてみればこれだけの崩落が起きうる山奥で、よくぞそれだけの期間に渡って軌道を運用し続けられたものだ。手押しトロッコの軌道とはいえ、ここまで見てきただけでもかなりしっかりと軌道敷が造られていたことがわかるし、それを土砂災害が起こる度に逐一補修するのは、並大抵の苦労では無かっただろう。
 
Bへ続く。