未だ見ぬ森林軌道の終点を目指して
2015/06/07 埼玉県秩父市・赤沢軌道-B
 
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 大規模な崩落を、一旦沢に下りることで回避すると、そのすぐ先に再び石垣が見えてきた。沢沿いに堆積する岩を足掛かりに、再び路盤へと戻る。
 すると、そこにあったのは・・・。
 
うおおおおおっ!こんなところにいきなりレールがッ!
しかもここ、複線になってるじゃねぇかッ!!

 
 路盤へと戻ってすぐに現れたこのレールは、今までよりも広くなった軌道敷の上で、恐らく本線と思われる左手の線路から、右手へと分岐するもうひとつの線路を延ばしていた。恐らくここは、トロッコを離合させる為の交換施設だったのではないだろうか。右手へと向かうレールの先の路盤は、既に流出してしまっているようだが、路肩の石垣も沢の方向へ向かって組まれているのでかつてはここに今よりも広い路盤があったのだろう。
 
 そして、ここの区間に残るレールだけ、鉄製の枕木が使われていた。何故ここだけこのような仕様だったのだろう?分岐地点のレールの強度を保つ為?まあ、本当のところは分からないが、赤沢の軌道敷に入ってからここまでの区間で、橋以外の場所でこれだけはっきりと敷設されたままのレールが残されているのは、恐らくレールと鉄の枕木が一体化していることが、撤去の際の何かしらの障害となったのだろう。
 ナノレカワの属性として、所謂”鉄っちゃん”という訳では無いのだが、こと林道の一形態である(←ここ重要!)森林鉄道に関しては話しは別で、その林鉄のレールが、僅かな区間とは言えこれだけしっかりと残されているこの状況!これ見たときはもうマジで興奮したわ!しかも、レールの表面には、また良い感じで苔を纏っているんだ。いやあ、これは良いものだよ!これを見れただけでもここまで来た価値はじゅうぶんにあった!
 
 そのレールの脇には、東大演習林林道では見なれた、東京大学の山火事注意の看板が倒れていた。
 
 そして、2つ上の写真に写っているが、路盤から一段下がった川沿いに、少し広めな平場があるのだが、意外なことに、そこにリュックが置いてあった。・・・人がいる?こんなところに?すぐ近くに、その持ち主がいたので話し掛けると、何と釣りに来ているとのことだった。
 タマチャリンさんとも、こんなところまで来る人なんて、年に数人いるかいないかじゃないか、なんてことを話しながら歩いてきたのだが、年に数人どころか、今日この地点から上流に掛けて、何と4人もの釣り人を見た。
 そう、ここへ至るまで、登山道とも分かれたこんな廃線跡に、何故これだけの踏み跡が残っていたのか不思議に思っていた人もいるかと思うが、何のことは無い、それらは彼ら釣り人によって付けられたものであるようだった。我々がここまで散々遺構だ崩落だと、ワーキャー言いながら辿って来た道も、釣り人にとっては単なる通り道でしかなかったのだよ、ははは・・・。
 その釣り人に尋ねたところ、軌道跡はこの先もまだしばらく続いているとのこと。そして、タマチャリンさんが一昨年訪れた時は、先程の大崩落地点の手前で既に引き返していたようだ。ここから先は、タマチャリンさんにもナノレカワにとっても未踏の区間となる。釣り人にとっては単なる通り道でも、我々のような人間にしか見えない景色はきっとあるはずだ!未だ見ぬ赤沢軌道の終点を目指して、更に前進するぞ!
 
 軌道敷はまたしても平坦な区間を取り戻す。路盤には敷かれたままの枕木が並んでいるが、やはり単なる路盤上にはレールは残されてはいない。
 
 で、ちょっと進めばまたこんな崩落が現れるわけだが、この程度はもう普通の道にしか見えなくなってきた(笑)。
 
 そして、この地点を越えた辺りで、久々にエグい物を見てしまった。それは、恐らく鹿と思わしき動物の、折れた大腿部から爪先までの関節が繋がったままの白骨だった。白骨とは言っても、その状態になってまだそれほど時間が経った感じではなく、骨の表面には、僅かに残る肉の養分を最後まで貪るように、かなり大きめのワラジムシが無数に張り付き、更にその周囲の路面には、その獣の体毛が一面に散乱していた。見ているだけで鳥肌が立つような光景だったが、間違いない、これは絶対に熊の仕業だ・・・。このときはそのまま通過していったのだが、帰りにもう一度ここを通過したときに、往きには気付かなかったが、恐らく同じ個体のものであろう、鹿の下顎の骨が落ちていた・・・。
 山の中で熊の食事の痕を見るのはこれが初めてでは無いが、何度見たところで決して気分の良いものでは無い。タマチャリンさん、あなた一昨年の秋にこんなところを一人で歩いていたんですよ・・・!
 
 更に先へと進み、再び沢を跨ぐ箇所があった。斜面に残る踏み跡を道なりに進もうとしていると、タマチャリンさんがあるものを指差した。その先に目を遣ると・・・。
 
おおおおお!
出た!石積みの橋台!!
しかもレール付き!!!

 
 こ、これは良い!これは良い!!しかし、こんなにデカいものなのに、薄っすらとした踏み跡が山肌に沿って迂回していたので、このときは言われなければ気付かずに見落とすとこだったよ!あっぶねー!
 ゆうに2m以上はあろうという高さに組まれた橋台は、その全身に苔を纏い、得も言われぬ迫力を醸し出している。そして、当然木造であっただろう橋桁はとうに崩れ落ち、残されたレールだけが橋台に沿う様に垂れ落ち、橋台の袂には、橋桁の物と思わしき苔生した残骸が積み上がっていた。赤沢軌道に残る橋台の中では、ここが一番の見どころと言っていいだろう。
 
 沢を渡った地点から振り返ると、対となる橋台は、その上部が既に崩れ始めていた。あの姿も、あとどれくらいその姿を保っていられるのだろうか。
 
 その先で、道幅をまるまる覆い尽くす大きな岩が行く手を遮っていた。これは一旦沢に下りた方が良さそうかな、と思いどこか降りられそうな場所を探していると、その岩と路肩のギリギリの隙間を、何と先を歩いていたタマチャリンさんが岩に抱きつきながら渡り始めているではないか!無事向こう側へと渡り切ったタマチャリンさん、
 
 「渡れますよッ!(ニカッ)」
 
 と、満面の笑みでこちらを振り返る。ただでさえ僅かな足場となるその路肩も、手掛かりとなりそうな大岩も一面緑色に苔生しているっていうのに、よくこんなところを渡っていったな。つ、つうか!あなた高所恐怖症じゃなかったんですかい!さすがタマチャリンさん、やるときゃやる漢(オトコ)だぜ・・・!
 
 そんな地点を越えて尚も進むと、山側に石垣が組まれた平場が見えてきた。
 (なお、ここから数枚に渡りドイヒーな手ぶれ画像が続きますが何卒ご容赦ください 笑。)
 
 これは明らかに、嘗てはここに建造物が建っていた跡だ。タマチャリンさんによれば、ここには造林小屋が建っていたらしい。確かに、赤沢軌道で検索を掛けると、ほんの数年前までここに建物が建っていた様子を伝えているサイトなどが確認できる。
 
 辺り一面には一升瓶が散乱している。嘗てこの場所で仕事終わりに仲間たちと酒を酌み交わした名残なのだろうか。他にも、用途の分からない陶器製の樽(?)のようなものや、飯盒までうち捨てられていた。
 
 道から少し下った谷側にも平場が見える。ここにも何かしらの施設があったようだ。
 
 道の脇に立て掛けられた、この巨大なコンクリート製の物体。初めは何か分からなかったが、よく見てみるとかまどのようだ。
 これだけの道のりを経てきた山の奥地に、嘗ての飯場の跡が残っているのは驚きだが、やはりこれだけの山奥での作業となると、当然毎日通うなどと言うことは出来るはずもなく、日々この場所で寝泊りをしながら山仕事をしていたのだろう。
 
 その山側の平場を見回すと、一番奥の方に、嘗ての小屋のものだろうか、僅かな木材が積まれていた。この様子をみると、小屋は自然に崩れたのではなく、意図的に解体されたようだ。もう少しはやく来ていれば・・・なんてことは考えても仕方の無いことだが、軌道稼働当時のまま残されていた造林小屋、この目で見てみたかったなあ・・・。
 
 造林小屋の跡地を越えて更に先へと進む。ここには路盤の上の枕木が綺麗に並んだまま残されていた。道の両脇には石垣が並び、ここまでの区間の中でも特に軌道の面影を色濃く残している。ん〜、良い!良いぞう!何だか楽しくなってきた!
 
 かと思えば、ここではまたしても崩落によって路盤がごっそり持って行かれてしまっている。
 ・・・って、ちょっと待って?その崩落の先に見えてるのって・・・。
 
 おおお!またしても枕木だ!崩れかけた路盤の上で、軌道廃止後からレールの撤去以外にほぼ手を入れられることの無かったであろう枕木が、いまもこうしてその間隔を保ったまま静かに横たわっている。林鉄の稼働当時を偲ばせるこの景色、これは最高だ!

 ・・・などと、ウキウキしながら歩き続けていると、本当の”最高”はこの後にその姿を表した・・・。
 
お・・・おおお?
な、何だここは!?
 
 突如目の前の足元にレールが復活したが、その軌道はすぐに、赤沢谷へと注ぐ支流に突き当って途切れてしまっている。
 
 沢の手前でレールが終わっているように見えたので、もしやここが終点!?と思ったものの、良く見ればレールそのものは沢の手前で折れ曲がり、かなりの長さを持て余している。ここは・・・もしかして、橋が掛かっていたのか?
 
 それにしても、恐らく元々は橋をもってこの沢を渡っていたであろうこのレールも、沢に沿ってずいぶんと綺麗に曲げられたもんだな。これは人為的に曲げられたものなのだろうか。
 
 ・・・などと、途切れたレールに気を取られていると、先に進んでいたタマチャリンさんが、
 「こっちにもレールありますよ!」と呼んでいる。
 
 その声に促され、支流を渡り、赤沢谷の本流に沿って進む。沢沿いをゆっくりと見回すと、一見緩やかな斜面に見えた土砂の中から、埋もれたレールが顔を出していた。
 
 おおお、凄い!やはりさっきの沢は橋で渡り、こっち側まで軌道は繋がっていたんだ!レールの下には枕木も残り、この地点はレールがそのままの状態で残されていたことが分かる。軌道の廃止後から何も手を加えられることなく、40年以上の時をこの地で過ごして来たレールの姿。素晴らしく感動的だ!
 
 そのレールの先は、進行方向を塞ぐ大岩の下へと続いている。一見すると、斜面から転がり落ちてきた岩がレールを塞いでしまったかのようにも見えるが・・・。
 
 よく見ると、その大岩を避けるようにレールの末端がカーブして終わっていた。これは、ここが本当に軌道の最終地点と言うことなのか?
 
 その大岩の先を少し歩いてみたが、そこから先にはもうレールの姿を見ることは出来なかった。
 現在時刻11:36AM、入川林道のゲートを出発して実に2時間半。間違いない、ここが赤沢軌道の終点だ!おおお!遂に来たぞ!
 
 赤沢谷出合から軌道敷まで一気に登った80mの高低差も、この地点で遂にゼロとなった。仮にこれ以上軌道を伸ばそうとしたら、この先の沢の斜度に合わせて軌道も勾配を上げて行かなければならず、ここを軌道の終点としたのは必然的なことなのだが、本当に軌道を延ばせる限界の地点まで延ばして来たんだな。東大演習林の開発と言う名目ももちろんあったのだろうが、戦後まだ間もない時期にこんなに奥地まで軌道を敷設したなんて、本当に驚くべきことだ。
 
 せっかくなので、終点の先を少し進んでみた。沢の流れの跡が二股に分かれ、その間の地点が一見すると人工的な平場のように見えないことも無いが、これは単に自然の中州がそう見えるだけだろう。
 
 沢の流れる音だけが響く中、幾重にも重なる深い緑が周囲を包み込む。実に荘厳な景色だ。
 
 ここも季節を変えて訪れたら、さぞ素晴らしい景色を見ることができるんだろうな。
 赤沢軌道の稼働当時から、恐らく変わることの無かったであろうこの終点の先に広がる森を、当時ここで働いていた男たちも、きっと畏怖の念を抱きながら見上げたことだろう。
 我々も、いつかまたここまで来るかどうかは分からないが、今日見ることが出来たこの地の景色を、しっかりとこの目に焼き付けて引き返すとしよう。
 
 先程の沢の手前のレールの場所まで戻り、よく見るとレールの傍らに幾つかの金具が置かれていた。
 
 U字型をしたこの金具は、一体何に使うものだったのだろう?
 
 見ただけでは全く見当も付かないが、ここまで辿り着いてやっと見られたものだけに、こんなところでもまたテンションが上がってしまう。テンション上がり過ぎて帰り道に下手こかないように気を付けないと(笑)。
 
 さあ、これで本当に見収めだ。さらば赤沢軌道終点。いつかまた訪れるときまで・・・。
 11:50、撤収開始。
 
 こうして無事に終点まで辿り着くことも出来たし、今回は梅雨入り前の、本当にピンポイントで良い時期に来ることが出来て良かった。
 
 先程辿って来た道の景色を、名残りを惜しむように愛でながら引き返していく。こんな場所、そうそう来れるところでも無いからな。
 
 このあと、往きに感動したグレイト切り通しの地点で昼食にしたのだが、空には次第に灰色の雲が立ち込めて来て、更に周囲には、赤沢谷に沿って伝わってくる、遥か下を流れる入川の轟音が、まるで獣の雄叫びのように低く響き渡り、まるで落ち着くことなんて出来やしない!ただ黙々と食料を摂取して、早々にこの場を立ち去ったんだぜ・・・!
 
 一気に赤沢谷出合へと下る登山道まで戻ってきた。その途中にあるこのコンクリート製の物体が、入川軌道を赤沢軌道を結ぶ簡易索道の基部と思われる遺構だ。このほぼ真上に、赤沢軌道に上って最初に目に見た丸太の構造物がある。やはりあれは、索道を支える為の施設の一部だったのだろう。
 
 赤沢吊橋を渡り、赤沢谷出合のすぐ上にも、索道の基部が残っている。この赤沢軌道の稼働当時の写真とかって残ってないのかな。もし存在しているのなら見てみたいな・・・。
 
 赤沢谷出合まで降りてきた。この写真は、入川軌道終点の先で、赤沢を渡る地点だが、ここにもコンクリート製の橋台が残っているのが分かるだろうか。そう、入川軌道そのものはここを終点としていたようだが、実はまだここから先にも道は続いていた。ただ、この先にはレールは敷設されず、枕木の上をソリを曳く「木馬道(きんまみち)」を用いていたのだそうだ。
 (参考:「ちちぶ森の活人」秩父地域森林林業活性化協議会)
 
 この先の道について触れている数少ない情報によると、ここから先はあまり目ぼしい遺構も無く、道の状態も次第に不明瞭となり、途中の崩落によって終点と呼べるような場所に辿り着くことも難しいようだ。
 この写真では分からないとは思うが、肉眼で見ると、路肩にはっきりとした石垣も見えてはいるんだよなあ。ここで休憩をしながらタマチャリンさんと、どうやったら向こう側へ渡ることが出来るか、あーでもないこーでもないと、いろいろとルートを探して見たのだが、少なくとも今日の装備、そして残りの体力では、この先へ進むことは危険と判断し、後ろ髪を引かれつつも大人しく引き返すことにした。それでも、ここもいつかは辿ってみたいが・・・。
 
 いやあ、やっとここまで戻ってきたなあ。ここまで来ればあとはもう危険なことは何もない。のんびりと引き返して行こう。
 
 現在時刻14:25。やっと入川林道ゲートまで戻ってきた!この地点を出発して、約5時間半の道のりだった。いやあ、よく歩いた!軌道敷を歩いているときはあまり感じなかったけど、車道に合流してからここまでの最後の区間が体力的に一番キツかったわ(笑)。
 
 BAJA君&タマシャリン君、ただいま〜。さあ、あとは家へ帰ってゆっくりしよう。
 
 というわけで、入川軌道の上部軌道である、赤沢軌道の現在の様子をお伝えしました。
いやあ、それにしても本当に楽しかったなあ。そう思えたのは、軌道敷の景色もさることながら、時期的に歩きやすいこの梅雨入り前に来れたということも大きかったと思う。この翌日に関東地方は梅雨入りとなったが、今回は本当にこれ以上無いくらいベストなタイミングだったな。そして何より、しっかりと終点まで辿り着くことが出来たこと。タマチャリンさんのリベンジも果たせたし、今回は本当に良い探索だった!BBSでちょうど良いタイミングでこの話題を出してくれたタマチャリンさんには本当に感謝だなー。タマチャリンさん、ありがとうございました!
 
 実は、こうしてレポを書きながら現地の記憶を辿っていると、またあの場所へ行ってみたいという気持ちが疼いてきております・・・。路面が落ち葉に覆い尽くされる前の、紅葉が真っ盛りの時期なんかに訪れたら、今日とはまた全然違う感動が味わえるんだろうなあ〜。はあ〜、行ってみたいなあ〜。
 ・・・なんてね(笑)。