午後ののんびり林道探索
2016/11/20 埼玉県飯能市・林道榎坂線
 
 あれは今年の7月のことでした。
 
 BBSに、埼玉県内の未知の林道についての情報が寄せられた。しかし、ちょうどその頃は全く身動きが取れないほどの多忙な時期で、その存在が気にはなっていたものの、探索はずっと先延ばしになっていた。
 最近は普通に週末に時間も取れるようにはなったのだが、その林道自体はかなりの近場で、そうなると逆に「いつでも行ける」という気持ちに繋がり、気づけば11月も下旬になってしまった。
 今日は午前中、ちょっと先も見えないくらいの濃霧に包まれていたのだが、午後にはすっかり晴れ渡って来た。午後からの出発なんて、通常の林道ツーリングでは考えられないようなことだが、本当にちょっとひとっ走り、といった感じで行ける距離なので、のんびり向かってみよう。
 
 県道70号線から飯能くすの樹カントリー倶楽部方面を目指して進んでいくと、やがて目的の分岐が現れた。
 
 ここがその目的の林道、榎坂林道の入り口と思われる(現在地)。一応完抜けの道のようだが、今のところどちらが起点なのかは不明。
 この榎坂林道、検索すると自転車乗りのブログはいくつかヒットするのだが、オートバイ乗りにとってはほぼ無名の林道のようだ。まあそりゃそうだろうけど(笑)。さあ、どんな道なのか早速進んでみよう。
 そういえば、ここまでの道ってどうも見覚えがあるんだよなあ。もう何年も前の事だけど、この辺りまでは確かに来たことがあることを思い出してちょっと懐かしくなった。
 
 序盤は周囲の開けた小高い丘のような地形を上って行く。
 
 その先で、いかにもな鬱蒼とした区間に入るが、昨日の雨の所為か、路面が濡れているうえに、路肩にはその雨で湿った落ち葉が溜っている。こんな上り坂のカーブでこの路面コンディションはちょっとおっかないが、こんな道でも鼻腔をくすぐる濡れた木々と土の入り混じった匂いを感じると、やはり林道って良いな、と思える。
 
 そしてこの道は、途中でゴルフ場の中を通過する。ここではゴルフ場のカートが移動する道と交差している。
 
 ここでは道の上をカートの通路が跨いでいる。ちょうどカメラを構えたときにカートが通過して、ちょっと面白い感じの写真が撮れた(笑)。
 
 その通路の地点の前方に、円形の建物が見えているが、あそこに今日の目的のひとつがある。
 
 着いた!ここは飯能市の水道施設である榎坂配水場だ。
 
 その配水場の脇に、一つの小振りな石碑が立っている。見つけたぞー!
 
榎坂林道開削記念碑である!
 
 この記念碑、表面の「榎坂林道開削記念碑」の文字の他には、これを書いた当時の飯能市長の名前が書かれているだけだが、こういった記念碑の真のお楽しみといえば、裏面にこそあるのだよ(笑)。さて、何が書かれているかなー?
 
 おおっ!裏面一面を使って、この林道の開削の経緯がびっしりと書かれている!官倉林道林道峯線と同じタイプだ。これは素晴らしい!
 以下にその全文を載せておこう。
 


榎坂林道の開削については江戸時代よりこの方面の開削が計画さ
れてきたが、ここに県単独林道として苅生小岩井両地区並
びに受益森林所有者、各方面の有志の協力により昭和四十五年度
昭和四十六年度の二箇年の継続事業として県四割、市四割五分の
補助を受け飯能林業事務所の設計で幅員四メートル延長千
八(十?)メートル総工費金八百八十万円の工(事?)と埼玉県農業振興公社の
施工で昭和四十五年十一月着工昭和四十七年三月竣工したものである
この林道は峰越林道で林産物の搬出はもとより一般交通の用に供
され 山間地域の振興に重要な役割を果す(くと?)ができる
ここに林道竣工を期に開削記念碑を建立し永く後世に伝えんと
するものである

昭和四十七年五月 飯能市森林組合
 
 一部判読不明な文字は括弧で括って表記したが、内容については問題無く伝わると思う。
 碑文によればこの榎坂林道、昭和47年に延長1,080m(※1)の峰越林道として完成したらしく、当初から林業以外にも一般の通行も考慮されていたようだ。
 ちなみにこの碑文を記したのが飯能市森林組合ということは、紛うことなき公設の民有林林道であろうことから、石碑上の表記こそ「榎坂林道」だが、今回はここでの路線名の表記を林道榎坂線として扱うことにする。
 (※1:これも文字が不明だが、推測を後述する。)
 
 と、ここで一つ気になるのが、この林道の情報を寄せてくれたはるささんが、そのときBBSに書き込んだ以下の文章だ。
 
 
”2002年版には北側に通じる記載はなく、南側からの今回の分岐道はありました。”
 
 
 どうやらはるささんの手元にある2002年度版の地図では、この榎坂林道は完抜けの道としては記載されていないようなのだが、この碑文を見る限り、昭和47年の開設当初から通り抜けが出来るように開通したように読み取れる。
 不思議に思い、「今昔マップ on the web」で2002年を含む版の地図を見てみると、確かにゴルフ場から南側の道が書かれてはおらず、代わりに東西に延びるゴルフ場内の道と思わしき記号が現れている。ちなみに最新の地理院地図でも同様の表記のままだ。
 ただ、林道開設時に一番近い1975〜1978年度版では、ちゃんとこの道が実際の線形通りに記されているのだが、その後1992〜1995年度版で「ゴルフ場建設中」の文字が現れるとともに、そのゴルフ場予定地から南側区間の表記が消失してしまっている。まさかゴルフ場の建設に合わせて、この道を塞いでしまう計画でもあったのだろうか??
 (ちなみにグーグルマップでは当然のようにこの道は記載され、実際自分もストリートビューでこの石碑を確認したうえでここまでやってきた。)
 
 とりあえず目的の石碑も確認できたし、一旦この道を最後まで辿ってみよう。
 
 峠から先は下り勾配が続き、BAJAから降りて写真撮ろうと思ったものの、そのままBAJAが勝手に下っていってしまいそうだったので跨ったまま撮影。こっち側区間は帰りに撮るか・・・。
 
 少し進むと、片側の斜面が開け、この道が接続する市道が見える場所が出た。ちなみにその道を下って見つけた砂防指定地の看板によると、原市場・下成木線というようだ。
 それにしてもこのいかにも里山的な風景、実に良い雰囲気だ。道の上を跨ぐ多数の電線がやや邪魔ではあるが(笑)。
 
 そしてそのすぐ先で市道に接続して榎坂線が終了(写真左手の道が榎坂線)。先程石碑に記された延長の文字を推測で「1,080m」と書いたが、向こう側の入り口からこの地点まで、BAJAのデジタルメーター実測値でちょうど1.0km。表示されていない0.1km未満の数値を考慮すると、やはり石碑の数字は「1,080m」で合っているのではないかと思う。
 (ちなみに石碑では、「苅生小岩井両地区」との表記があり、こちら側が苅生地区となるので、今回は暫定的にこちらを起点として扱うよ!いいね?)
 
 林道としては実質先程の合流地点で終了だと思うが、もうすこしだけこの市道を下ってみよう。
 
 この先の市道に接続する地点まで下ってみたが、目に付いたものといえば砂防指定地の看板くらいだったので引き返してきた。
 ただ、周囲にはところどころ植林された杉林が見受けられ、林業が盛んだった頃にはこの周辺も含めた開発のために、榎坂線の開削は必要だったのだろう。
 
 それではもう一度榎坂線を走って帰るとしよう。
 
 先程逆方向からも撮った起点近くの地点。こちらからの眺めもよきかな。ただやはり道の上を跨ぐ多数の電線がやや邪魔ではあるが(笑)。
 
 往路では撮れなかった区間の写真を撮りながら戻ろうと思い周囲を観察しながら走っていると、法面に一箇所、小さな穴があいているのが見えた。
 
 穴の奥からは一筋の水が流れてきているが、地下水でもしみ出しているのだろうか。
 
 まさか発破のためのダイナマイトを埋める穴・・・?いや、この程度の道の開削の為にそんな大袈裟なことしないか(笑)。
 
 配水場の手前まで戻ってくると、道の脇にはブルーシートを掛けた機材が置かれたままになっている。
 
 その上の斜面は杉が伐採され、光が通って明るくなっていた。この道はゴルフ場が出来た今でも現役の林道としての機能を果たしているのだろうか。
 
 残る木には索道が括り付けられたままになっている。ただ、斜面の雰囲気は「今まさに伐採中!」って感じでも無いように見えるんだよなあ?
 
 この道端に置かれたままの機材も、もう長いこと使われていないような雰囲気を漂わせているようにも見えなくも無いような・・・。いや、こんなこと言ったら「ちゃんと使っておるわ、このうつけもの!」って怒られるかもしれないな(笑)。
 
 帰る前にBAJAと石碑の2ショット。
 
 それじゃBAJA君、今日は帰るとしようか。本当にほんの小一時間のツーリングだったし、こんな小振りな道だったけど、知らない道を走るのはやっぱり楽しいね。
 
 
---------- おまけ ----------
 
 榎坂線の起点が接続する市道沿いで見つけた、飛び出し注意の看板。
 
 車に轢かれそうになって相当慌ててるのか、女の子のポーズがかなり意味分かんなくなっちゃってるけど、そんなところも含めてこの手描きの味わい、よきかな。