「栗和田林道」を辿る
2018/03/11-@ 埼玉県東秩父村・栗和田林道
 
 「栗和田林道」。
 
 東秩父村の県道361号三沢坂本線沿いに、「栗和田林道記念碑」と記された石碑がある。
 
 石碑の位置はここだ。
 この石碑を初めて見つけたのは2009年、もう9年も前のことになる。
 石碑には栗和田林道の開通年度と石碑の設置年以外の情報が書かれていないこともあって、いままで栗和田林道の素性が謎のままだった。
 先日、ふとそのことを思い出し、ダメ元で東秩父村役場にこの栗和田林道について問い合わせてみたところ、あっけなくその林道当時の情報を得ることが出来た。
 
 先にネタばらしをするが、「栗和田林道」とは、現在の県道361号三沢坂本線へ移管された道である。これについては当初の予想通りで、ある程度林道に興味を持つ人があの石碑を目にすれば、まず同じ予想をすることだと思う。
 ただ、予想はしていたものの確証があったわけでもなく、嘗ての林道時代の起点や終点の位置、総延長などの詳細な情報については不明なままだった。今回、ようやくそれらを知ることが出来たので、その情報を元に改めて「栗和田林道」の道筋を辿ってみようと思う。
 
 ここは、県道11号熊谷小川秩父線からこの県道361号線に入り、300m程進んだ地点だ。BAJAの停まっている辺りが、栗和田林道当時の起点だったという。
 ここを起点とする1,620mの区間が、嘗ての栗和田林道だった。その当時、県道11号線からここまでの地点は東秩父村の村道、そして終点から先の区間は秩父高原牧場の牧道だったとのことだ。
 正直、こんな地点で村道と区切られていたなんて予想外だった。この情報が無ければ、県道11号線からの分岐地点を、栗和田林道の起点と思ってもおかしくなかった。
 
 県道に移管された道は、平成に入り現在の幅員に拡幅されたという。恐らく現時点では、嘗ての林道区間にも当時の構造物などは残っていないのではないかと思う。
 
 途中には急勾配のヘアピンカーブで駆け上がる場所もある。さすがに林道当時の遺構は無いだろうが、このような線形は林道当時の面影を残したままなのではないだろうか。さすが林道由来の道だと思わせる。
 
 ただ、このカーブの内側にある、この丸石を用いた石垣を目にして、もしかしたら林道当時のものでは、と一瞬思ったものの・・・。
 
 その上に埼玉県の標が設置されているのを見ると、やはりこの石垣も県道移管後に改良された時点で作られたものと考えるのが妥当な気がする。そもそもこの石垣の丸石、コンクリートで固めた法面に埋め込んであるだけの擬似積みっぽいんだよね・・・。
 
 そんなカーブを超えて、特に見所の無い道を進んでくると、周囲が開けた開放感のある区間に出る。
 
 この区間は、幅員の広い道の両脇をコンクリートブロックの法面で固められ、実に整備の行き届いた県道となっている。現在のこの路上から林道当時の景色を思い浮かべるのは少々難しそうだ。
 
 そのすぐ先で、左手に県道11号線方面に下る道が分岐するが、この地点もまだ旧栗和田林道の区間内なので、このまま県道361号線を直進する。
 
 そして、いま停車しているこの場所からは、もうアレが見えている・・・。
 
 野菜の無人販売所・・・。
 
 ・・・の脇に立つ、栗和田林道記念碑だ。
 
 冒頭にも掲載したこの石碑、表面には、他に「昭和41年開通」とだけ書かれている。その裏面を見ると、この石碑が平成19年にこの栗和田区の住民一同によって設置されたことが記されていて、この林道の開通が地元住民にとっての悲願として記憶に残っているであろうことは想像に難くない。
 
 その記念碑の右隣には、もうひとつ大きな石碑が立っている。
 
 栗和田共有林野設定記念碑だ。以前訪れたときには特に気にも留めていなかったものだが、改めて碑文をざっと眺めてみたところ、明治39年にこの地域の国有原野が民間に払い下げられ、栗和田共有林になったということが書かれているようだ。栗和田林道というのも、恐らく共有林の設定当時からそれを利用するために存在していた道を改良したものだったのだろう(碑文の全文はいずれ書き写してみます・・・)。
 ちなみに、昭和41年に開通した栗和田林道だが、その僅か8年後の昭和49年10月には県道に移管されている。林道としての期間はごく短い存在ではあったが、前述のように地元住民にとって、その開通は記念碑を据えるほど重要な出来事だったのだろう。
 
 そして、この栗和田林道記念碑の左手に、ミスリードのように1本の未舗装路が分岐している。いかにも林道ライクな見た目だが、実はこの道、100m程先で民家の裏手に行き着いて唐突に終わっている。記念碑がその未舗装路寄りの実に微妙な位置にあるために、この入り口だけ見れば、この未舗装路こそが栗和田林道なのではないか、と思ってしまうかもしれない。しかし実際に入ってみればここが栗和田林道でないことは明白だ。なにより、民家に続くだけのこんな道に記念碑なんて立てるわけが無い(笑)。以前ここに入ったときの様子があるので、興味があればこちらからどうぞ
 
 記念碑を過ぎてもう少しだけ進むと、いよいよ栗和田林道も終わりだ。BAJAが停めてある地点が、当時の栗和田林道、総延長1,620mの終点だ。
 
 その終点の脇に、カーブの内側をショートカットするよう舗装路がある。こちら側はバリケードで車両の通り抜けが出来ないようになっているが、これは林道当時に関連する道なのだろうか?
 
 この排水溝を見ると、県道としての整備と同時に造られた道のような気はするが・・・恐らくここだけ村道の扱いになってるのではないかと思う。栗和田林道には直接は関係無い・・・かな?
 
 現状の道自体はほぼ何の面白味も無かったけど、とにかくこれで栗和田林道当時の道筋を辿ることが出来た。9年越しの宿題をようやく済ませたようで、とても清々しい気分です(笑)。
 
 今日一番の目的はあっという間に果たせたわけだが、ここまで来たら是非行っておきたい場所がある。このまま県道361号線を進み、早速その目的地へと向かうことにしよう。
 ・・・と、ここまで触れてこなかったが、今日は冬に逆戻りか?というくらいに寒い!寒すぎる!天気予報を見た感じでは、もっと天気も良くて暖かくなることを期待してたんだけどなあ。この写真を見ただけでもその雰囲気は伝わるんじゃないかとは思う。あまりの寒さに、もう帰ろうかなんて考えが頭をもたげるが、次の目的地だけは行っておきたいんだ・・・。
 
 二本木峠で一旦停車。数日前に秩父のほうで降雪があったらしく、この辺りの山の中もちょっと心配だったけど、県道11号線からこの先の釜伏峠に至るまで、一切の残雪を見ることはなかった。
 さあ、次の目的地まではあと少しだ。頑張れ、俺!
 
Aへ続く。